コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

過去の過ち?

 オリンピックで解任された人たちのことが連日騒がれているが、何をしたのかと新聞やネットで見たら、なんとくだらないこと。一人は30年くらい前にお笑い芸人だったときか、コントで一言ホロコーストのことを言ったからだとか。それがまるで、その後のその人のすべてでもあるかのように、過去の失言を大きくクローズアップして、朝日新聞でも叩かれ、テレビでも取り上げ、政府まで動いた。世論がみんな排斥のほうに向いているかのようだ。
 もう一人の音楽担当は、40年くらい前の子供のときに学校で虐めをしていたからだとか。そういうことを誰がどこから見つけてくるのか。また、そんな昔のことを重箱の隅をつついて、出してくる人も異常だが、それで騒ぐ世論もマスコミも異常だ。
 その攻撃する人に問いたい。あなたは、かつて失言もしたことがないのかと。100%正しいことをしてきたのかと。過去の過ちを許すとか、そういう話ではなく、それをいまごろ見つけてきて、突き付ける神経が異常と思うのだ。清廉潔白な人間なんかいないだろう。どこかみんな傷を持っていたりする。真面目で正しいことばかりしてきた人がいい音楽や演出ができるとは思えない。芸術家も文学者もみんなどこか過ちを持って、人生に躓き、汚点があったりするから、それをバネにしていい作品を残せるのではないのか。
 そういう世論があるから、差別が生まれる。一度犯罪を犯した人が更生しようとするのも許さない。いつまでも叩こうとする。更生させる施設も建てようとして反対運動が起こる。人間、いつ犯罪者になるかしれない。出来心もあるし咄嗟の初犯であっても、一生、そういう人を社会が受け入れない。普通の人がいつ犯罪人になるかしれない。車で運転している人が魔がさして、児童の列に突っ込む。それは自分ではないと言い切れるだろうか。ちょっとした不注意が重罪になり、世間から攻撃の的になる。明日は我が身なのだ。
 わたしも随分と失言してきた。それを思い出すたびにいまでも顔が赤くなる。人を傷つけるようなことを書いたり、言ったりして、そのことをいまでも思い出して後悔している。口は災いの元だ。
 自分は絶対に罪を犯したことがないという人は、実につまらない人間に思える。嘘も言ったことがないという人とは友達にもなりたくはない。どこか人間臭くない人は面白味もないだろう。正義を振りかざして攻撃する人たちは、コロナで鬱憤の捌け口にしているのだろうが、それに倣う人も淋しい人だ。モラハラ流行りだ。
 聖書のヨハネによる福音書に有名な言葉がある。「罪のない者だけが石を投げよ」と、姦通の女への人々の攻撃をキリストが諫めた話だ。するとみんな石を女に投げることができなくなった。昔の刑罰はリンチのように民衆がしていた。原始的な刑罰だが、それはいまも同じではないか。
 オリンピックだからというのではない。政治家はどうなのか。不正ばかりしているではないのか。国家もそうだ。神聖な仕事などあってないようなものだ。オリンピックの裏がどうなっているのか、きっとみんな知りたがっている。きっとどろどろと汚いものが渦巻いている。過去の失言なんかきっと可愛いものだろう。
 何かこことばかり叩くのが、かつての思想統制の戦時のような気がして気持ちが悪かった。世論が非国民、国賊と責めるときの声を聴いたような。オリンピックの日の丸の旗が、出征兵士を送る日の丸に見えてくる。


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