コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

南島小記 4

 宿に戻ってチェックインする。若者たちがいてそれぞれが名前を名乗る。フレンドリーなのだ。どこに行ってもわたしはロートルで孫みたいな大学生たちと普通に話す。二階にベッドルームがあり冷房が効いている。一階にシャワールームとキッチンと食堂がある。その食堂にノーパソでなにやらネット閲覧している若い夫婦がいた。互いに自己紹介で、わたしは来間島からギリギリで避難してきたと話す。台風はどうなるのかと心配していて、明後日の飛行機で大阪に帰るのだとか。夫婦には仕事がある。連休を使って泳ぎに来たのが、初日一日だけの海で、後はこのホステルに閉じ込められていた。帰れるだろうかと心配する。奥様は40代の細身の方でダンス教室の先生をしていた。生徒さんもいるから帰らないといけないが、いまのところまだ欠航の連絡がない。台風は時速10キロ以下で歩くぐらいののろのろで、皆さん、早く行けよと文句を言う。わたしは余裕を持って、その翌日の便にフライト変更したことを話した。明後日はまだ暴風圏内ではないのか。二人して困った顔をしていた。わたしは自由人だから、これで仕事があったら焦るだろう。いつまでもいてもいいのだが、避難民ではどこにも出られない。
 スーパーで買った弁当を食べていたら、宿のおやじさんが沖縄名物のアオサのお吸い物を出してくれた。それから客を連れて、近くの洞井を見にゆく。わたしはさっき来る前に見てきたから留守番だ。
 農大の学生はジャニーズ系のイケメンで何日か夏休みで滞在し、泳ぎに来ていたが、彼に食べませんかとスーパーで買ったきびなごのフライなどを差し入れる。若夫婦とずっと旅の話をしていた。彼らも随分と世界を歩いている。それでもこんな経験はなかったという。沖縄に来るのは3月から5月の梅雨入り前までですねとわたし。台風シーズンにはこれからは絶対に来るまいと思う。どこの観光地にもベストシーズンというものがあるが、そのときは高いし混むし、あまりよくないが、それでも台風に巻き込まれるよりはいい。
 夜は、若者たちはつるんで近くのカラオケや飲み屋に行ったらしい。明け方帰ってきてソファで寝ていた。そういう店だけは夜は開いているのだ。
 外は次第に暴風雨で、凄まじい音がしていた。その音で眠れない。
 翌朝は持参したパンとドリンク、インスタントコーヒーで。夫婦はまだどうしようかと悩んでいた。おちょくるのはいけないが、「いっそ、ここに移住して住みついちゃえば」と言ったが笑わない。すみません。10時にはチェックアウトだ。みんなは滞在組、わたしは次の宿が三連泊のウイークリーマンションのコンドミニアムへと移動する。宿のおやじさんが、ブッキングに出したのは初めてで、あなたが第一号というから、それなら高評価をつけておきますと言って、みんなから見送られて雨がやんだタイミングで出てきた。後で最高点をネットで入れたらお礼メールが来ていた。
 おやじさんに聴いて、道の先にファミレスがあるという。そこならドリンクバーもあるからずっとゆっくりといられると。次の宿にも電話連絡して、チェックインが2時というのでその時間に行くことを話す。どこかで4時間を潰さないといけない。
 ファミレスは休みだった。別の生ジュース屋の看板で行ってみたら休み、どこもここも台風で休むと貼り紙がしてあった。グーグルマップで見たら、道なりに歩けばイオンタウンがあると、それに期待した。相当大きい。そこなら飯くらい食べられるだろう。と、行ってみたら、確かにマックスバリューのスーパーは営業していた。並びにあるマックは休み、レストランも休み、書店も靴屋もテナントは休み。スーパーにはイートインぐらいあるだろうと、入ったら、コーヒーとパンの店が椅子テーブルを出していた。よかった。氷がないからとホットコーヒーにした。するとそこに座っているじいさんがいた。地元の人らしい。「旅行ですか」と話しかけてきた。足止めをくってと、台風のことを話した。「仕事も大変だね、帰れなかったら」というから、年金暮らしだからそこのところはいいんですがと、話したら、「悠々自適ですな」と、じいさんは、こっちも暇だから島を車で案内してあげましょうと、親切に言ってくれる。暴風雨のときだから、危ないので部屋にいたほうがいいですよと、やんわりと断る。
 イートインにある新聞を読む。宮古にも新聞社がある。人口5万くらいで地元の新聞社。それも二日前の新聞だ。
 スーパーで買い物もしてみる。これから宿に3日間缶詰になる。朝昼晩と9食はいるなと、売り切れのものは仕方ないが、あるもので調理しなくてもいいものだけ買う。停電になると電子レンジも使えない。栄養ドリンクとゼリーなんかも買う。棚はがらがらでだが、刺身や精肉はある。それも料理しないといけないので売れないのだ。
 昼飯にスーパーの隣にあった吉野家が唯一開いていた。ドアの外まで並んでいたが、わたしもいま食べないと食べられないと並ぶ。お持ち帰りの人も多い。狭い店だが、てんてこまいだ。牛丼は後少しでなくなりますと、材料も切れてきているのだ。揚げ物ならありますという。アジフライ定食でもいいが、麦とろ定食にした。それをカウンターでいただく。飲食店も材料がなくなれば閉店するよりない。島だから物流が止まれば、すべてが止まるのだ。ネットでは病院も休むとあった。宮古島には避難命令が出されていた。高齢者は避難先に向かってくださいとテレビでも呼びかけていた。旅人はどうしたらいい。
 まだ時間があるからどこかでコーヒーでもと宿のほうへと向かって歩く途中の店もみんな閉めていた。モスバーガーもケンタッキーも休みだ。風速30メートルならまだ歩けると地元の人は言っていたが、それでもメガネもマスクも吹っ飛びそう。ツタヤだけは開いていた。だけどそこには休憩する場所はなさそうだ。
 開いているスーパーに避難した。昨日来たところだ。コインランドリーで雨と風を避けながら時間までいた。ネットの地図で見たウイークリーの前に来て、待っていたら車で宿の男性が迎えにきた。場所は別のところという。それでそこから近いが車で連れてゆく。車の運転も命がけだが、歩いてはさらに危険な強風になってきていた。


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