コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

南島小記1

 空港で夜明かしもいままでは何度もあった。朝一の飛行機なら、近くのホテルに泊っても移動手段がなければ間に合わない。それよりは、空港の待合所で横になれるところがあればいい。また格安航空のLCCだから、成田空港の第3ターミナルだった。そこは歩いて端のほうなのだ。がらんとして誰もいないかと思ったら、ぼちぼちとわたしのような泊まり組が来ていた。コンビニも飲食店も閉めていた。掃除のおばさんたちと警備員だけ。朝飯で買っておいたコーヒーとパンは夜食に食べてしまう。椅子に座ってタブレットPCで書き物をしていても、眠いが座ったままでは眠れない。結局、明け方まで悶々とうつ伏していた。

 ようやくお客が集まりだした朝。ゲートに行くとき、金属探知機に引っかかる。股関節に人工関節を入れていると説明。いちいち面倒くさい。手荷物も7キロまでは無料だが、それ以上なら追加料金がかかる。秤に載せたら5キロ。バックパックひとつだ。中身は水中メガネにスノーケル、足ヒレに着替え、タブレットPCなど。

 飛行機は満席ではないが、夏休みになり、学生さんたちが多い。3時間もかからないが、沖縄本島より宮古島は300キロも西だから、その続きが石垣島と与那国と日本の最西端からは台湾が見える。去年は石垣島の予約をしていて、飛行機がコロナで欠航になり宿だけが支払い済で損をした。今回はそのリベンジなのだ。それでも心配したのが緊急事態宣言下で、飛行機が出るのかと、また欠航ならしばらくはおとなしくしていようと思っていた。それでもわたしの旅心は病気のようなもので、夏になると疼きだす。

 10時過ぎに宮古島近くの下地島空港に着いた。いい天気で暑い。空からは島々が点在しているのが見えた。青い珊瑚礁のリーフも見えて今回はシュノーケリングをしに来たのだ。久しぶりの興奮を覚えた。空港にはブーゲンビリアかハイビスカスの赤い花が出迎える。

 さて、入口にはレンタカーの社員が待ち構えている。わたしはひたすら歩いて今夜の宿まで行こうと、猛暑であることも忘れていた。しかも、重大な錯覚をしていたのに後で気が付く。グーグルマップで見たら、空港脇の道路を歩いてゆくと小さなスーパーもあるようだ。それでも歩いている人がいない。広い農地かサトウキビ畑が続いている。どうもおかしい。すぐに市街地があるはずなのに建物がない。

 ようやく一軒の食品店に来た。周囲には工場もある。ドリンクを買って、店のおやじさんに聴いた。宿のある来間島まで歩いてどっちに行けばいいのかと。驚いて、歩いたことはないが、遠いよと言う。その店の前から市役所行のバスがあるからそこまで行って乗り換えなければと言う。市役所の場所をグーグルマップで確認したら戻らねばならない。バカなことを言う人だ、引き返すなんてと、まだわたしは大変な事実を知らないでいた。バス停の時刻も二時間に一本よりない。しかもおかしな地名ばかりが並ぶ。その店から歩いて裏通りに小さな地元のスーパーがある。それで行ってみたら、あまり商品もなく、見たらなんでも島値段で高い。カップ麺やパンなども、本土と言うのか、東京のスーパーと比較してもなんでも5割増しで買う気がしない。それでもこれから行くところも何もなさそうなので、飯だけは買っておかないとと、仕方なく明日の分まで買った。パックご飯とレトルト食品など。

 さっきのおやじさんの言うことは聞かずにどんどんと歩いていた。そして、道路標識で港の名前が出ていたので、橋の上からマングローブみたいな水辺の植物を眺めて、スマホのグーグルマップで調べていたら、あっと声を出しそうになる。大きな勘違い。ここは別の島なのだ。いくつもの島があって、大橋で繋がっている。宮古島というのは一番大きいが、いまわたしのいるところは下地島でこの橋を渡ると伊良部島、他に池間島とかもある。なんと空港がひとつではなく二つあるのだ。それでエウリカと叫んだ。頭を叩いた。バカなことをしていた。歩いてゆけるわけがない。島は確かに地図で見たら小さいがなめてもらっては困る。いくら歩いて健康のためだと言っても、その広さは大変なものだ。そう気が付いた。わたしの降りた空港は下地島空港でLCCの専用空港で、宮古島の中にあるのが宮古島空港で全日空などが使用している。てっきりその空港と勘違いしてマップで調べて混乱していたのだ。

 最初からなんとしたミスティク。それで走ってバス停まで戻る。と、二時間に一本のバスが来た。飛び乗る。市役所行だ。宮古島市と人口が5万いくらの市なのだ。バスは無料では日本一長い3540mの伊良部大橋を渡り宮古島本島に入る。別の大きな宮古島空港もある。全国チェーンの店もある。さっきの下地島にはコンビニもないと、うろたえたが、よかった、買い物ができる。宿は素泊まりなので、飯は用意しなければならない。それがさっきのようなひしゃげた田舎の小さなスーパーでは買うものもなく心配した。

 市役所に到着した。乗客は何人もいなかった。そこまでもバスで1時間。歩けるはずがない。さっそくここから来間島まだどうやって行くのか、市役所の中の総合案内所で聴いた。近くの警察署の前のバス停で一時間後に来間島経由のバスがあるという。ここはレンタカーで回らなければ身動きがとれない島なのだ。バスはあまりにも便が悪いし、高い。

 どこかで昼飯でもと思うが、そんな飲食店も回りにはなさそうだ。ようやく見つけたドラッグストアに入ると弁当も売っていた。ガパオライスの弁当を買う。それを食べるところがない。まさか路上では暑すきぎる。うろうろしていたらバスが来る。それに乗ってまた街中をあちらこちらと走る。街の雰囲気はすっかりと東南アジアだった。鉄筋の建物ばかりで四角四面にコンクリート住宅で色気がないところをテラスでアクセント。その造りが南国で、エキゾチック。米軍統治時代の名残か、横文字もあって、何か異国に来たような。

 バスは大橋を渡る。長い。1,7キロはあるという。それで周辺の島を橋で結ぶ。それまでは小型のフェリーで移動していたのだろう。いまは周辺の島は車で乗り入れられる。宮古ブルーとはいうが、バスで橋を通るときに見る海はさすが透明感があって青い。

 バス停には来間島と書かれていた。4時間以上かかってようやく目的地に到着した。そこからは宿はすぐだ。ひとつ星のホテルハイビスカスというが、ホステルなのだ。ごめんくださいと、呼んでも誰も出ない。平屋の普通の民家のような、とてもホテルとは呼べない宿にこれから三泊する予定だ。ようやく年配の男性と外人みたいなエキゾチックな面立ちの若い女性が顔を出した。これから三泊お世話になります。チェックインは5時なので、まずは朝から何も食べていないので、外に面したガーデン用のテーブルについてさっき買った弁当をいただく。それから荷物だけ預けて、さっそく泳ぎにゆく。初日だから元気だけはあった。


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