コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ようやく第一回目のワクチン接種

 全国的にはずいぶんと進んているワクチン接種だが、いまだ混乱が続いてる。みなさん初めての経験で、試行錯誤なのだろう。ちょうどうまくゆかないのは、場所もあるし人員もある。医者の手配ができないところもあるだろうし、保管ができないところは生ものを扱うより面倒だ。どうもぎくしゃくしているのは仕方のないことだと思う。簡単にはゆかないのだ。
 予約の電話は殺到するし、市役所の窓口には詰めかける。スマホを扱えない高齢者たちは孫に頼むが、頼む人がいない人はどうしようもできない。
 わたしも千葉から神奈川に引っ越してきたときに、千葉から来た接種券は使えないので破棄した。それで遅れて平塚市から送られてきたが、別に急がない。政府からテレビで高齢者の接種は7月末で終わらせると言っていたが、それなら急がないと後の人に迷惑だと、一人取り残されることも憂慮してネットで申し込もうと見たら、すでに7月は予約でいっぱい。8月もいっぱいで、ようやくお盆のときに空きが一人だけあったので、8月14日の午前の時間で予約ができた。政府もいい加減なことを言う。現状を知らなさすぎる。何が高齢者の二回目の接種を7月中に終わらせるだと。調子のいいことを言ってと、わたしは第一回目も8月半ばで、二回目はいつになるか分からない。それなのに、終わらせるとはどういうことかと、いつもの政府の発表に疑問を感じていた。
 そうしたら、今度はワクチンが余ってきたのか、高齢者の接種を早めてくださいと、再予約のメールがきた。そのときはやはりなと、まだ接種していない高齢者がいっぱいいるというのに、事業所の集団接種を進めたり、若い人たちの接種を始めたりと、どこまで現状認識しているのかと呆れた。
 平塚市から再度の予約ときたので、ひと月は早くなる。空きを見たら、日曜が空いていた。どうしてだろうか。平日は買い物で通るときに、市役所の玄関まで何百人か高齢者たちが外に並んでいるのをいつも見かけていた。それを見て毎日すごいなと、どこにそれだけの年寄りがいるのだと、これではなかなかその下の世代まで進まないだろうと、なんとなく、遅滞していることに憂いていた。
 ネットで新たな予約日は7月18日の午前であった。二回目は解らない。ともかく、また旅行に出かける日の朝なので、受けて行ったほうがいいだろうと、市役所へと行ってみた。平日のように外に並んでいない。中には椅子があり、みんな座っている。よかった。この猛暑で連日の真夏日になれば、外にずっと並んで行列を作るのはしんどいだろう。かつて市役所にこれほど市民が行列したことがあるか。ラーメン屋でも覚えがある。大盛況だと喜んでもいられない。待たされることを覚悟して眼科でもそうだったが、文庫本のいらないリサイクル本を図書館からいただいてきたので、本でも読んでいようと思ったら、すぐに呼ばれて、それから10分もしないのにワクチン接種ができた。早い。様子を見るために20分は椅子に座っていてくださいと、時間が書かれている。痛くもないし具合も悪くない。副反応が出たら、熱が出て、それこそ旅行には行けなくなる。大丈夫か。


 ワクチンというものは子供のときに打った記憶がある。あれはポリオのワクチンであったか。昭和30年代に全国的に小児麻痺が流行した。全国の小学校でワクチンを接種したが、あれは注射であったか、何か甘いどろりとしたゲル状の無色透明なものをスプンで口に入れられた気もするが、他にワクチンは打っただろうか。予防注射はよく打った。伝染病で、腸チフスパラチフスも打った。腸パラと覚えている。小さいときは赤痢や疫痢というのも普通にあった。保健所が学校の消毒に来ていた。まだ戦後復興のさなかで、衛生管理はよくなかった時代のことだ。天然痘や結核というのも調べて陰性か陽性かとみんなで腕を見せ合った。
 あれ以来、ワクチンというのに縁はなかった。年とともに毎年のインフルエンザは打つようになり、それでも毎年ではなく、とびとびでわたしは受けていた。ウイルスとの戦争で医学は進歩する。また変異種が出たというと、この戦いはいつまで続くのかと、ワクチン戦争は当分平和が見えないのだ。

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