コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

いまだからこそフランクルの『夜と霧』を再読

 図書館で借りてくる本には若いときに読んで感銘を受けた本をもう一度読んでみようと思うときがある。それは、若い感受性と、老人の受け取り方はどう違うのかと、再読してみるのも自分がどう変わったかを知ることにもなる。思想的にも変わり、人生経験を重ねることで、多くの情報も得て、時代背景もあるから、人はどんどんと変わってゆく。それは本という変わらない視点を読み返すとよく解る。
 コロナの時代で、何か関連する本を読み返してみたいと、トーマス・マンの『魔の山』であったり、ペストが蔓延する14世紀のフィレンツェの郊外に逃げた人々が語り合う、ボッカッチョの『デカメロン』もある。カミュの『ペスト』も若いときに読んだが、それはコロナになってから売れているらしい。
 その中で思い出したのが、アウシュヴッツにユダヤ人の精神医学の医者として収監されて、戦後解放されて奇跡的に助けられたフランクルの名著だった。それに関する本も当時は読んだし、ロゴセラピーも学んだ。『死と愛』も心に残る本だった。
 現在の状況と似ているのが、死が迫り、それと全国民が向かい合い、閉塞した社会と見えない恐怖との闘いで、次々に周囲の人たちが斃れてゆく。それは何もできない無力なこととして、どうすることもできない。老人や病気の人たちから死んでゆく。アウシュヴィッツでも、生と死を分けるものは、労働ができる健康な肉体を持つものだけが、生へと振り分けられ、弱い人たちはガス室へと送られてホロコーストさせられた。コロナでもコロナに負けない健康体を作ることで、そのために若い肉体を戻そうと、アンチエイジングもしている老人がわたしなのだ。フランクルも振り分けの収容所の係員の前では背筋をピンと伸ばし、自分の若さと元気を見せるようにした。老婆は若造りして、化粧でごまかし、つま先立ちで若く見せるようにしていた。用のない人たちは抹殺されるから、生かされるためにそういう行為もかなしいものだ。現代は就職の面接も厳しい狭き門となっている。如何に自分が元気で働けるかをアピールする。それに落ちて仕事がなくなれば、生きてゆけない。
 収容所の中では、絶望し、生きる望みがなくなった人から死んでいった。食べ物も与えられず、パンのひと切れを如何にもたせるかが議論された。刑罰や死にゆく者たちの姿は毎日見ていると次第にその感覚が麻痺して、日常化してくる。コロナでもそうで、感染者数がテレビで発表される。死者も全国で何人と報じられても、慣れてくるとそれは天気予報のように聴こえてくる。街に出ても飲食をしても酒を飲んでも別にいいじゃないかと、縛られている禁を侵すことが平気になる。収容所でもそういうことが長い間になってゆく。
 生き延びてきた人たちは、ある人はピアニストであり、彼は見えない鍵盤に向かって毎日暇なときはピアノを弾いていた。詩人は吟遊詩人のように、思いついた言葉を編んで空に誌を歌った。希望や未来という嘘くさい言葉は信じないが、そういう楽しみを持つ趣味人が生き延びてきた。何も趣味もない人たちは現実と向き合って苦悶し絶望し、死を選ぶ。それもいまのコロナでは、元気な人は部屋に閉じ込められて、不要不急の外出はするなと閉じ込められている世界でも楽しみを知っているから心の支えにはなっている。何をしていいのか解らない人たちがコロナのウイルスに恐れ戦いてテレビの脅迫に耐えている。
 いまが苦しい。その苦しみに意味を持たせる。愛する人がいたら、自分のいまの苦しみは彼女のために耐えなければならないとすり替える。自分の苦痛は彼女が幸せになるためだ。そうして、苦しみや辛さが頑張れるのはアスリートと似ている。記録のために頑張って鍛錬する。肉体を虐める。収容所では、そういうご婦人がいた。わたしの苦しみを苦しみと感じなくなる。それも含めて逆に感謝に代わる。「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ……以前のブルジョア的生活で私は甘やかされていましたし、本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの」そして、彼女は樹木に対しても話し相手になり、自然の小さなことにも幸福を感ずるようになる。
 いまのコロナで、家庭菜園が増え、つつましい生活に喜びを見出すようになった人は、コロナでなかったら気がつかなかった生活をして、いままでどんなに怠慢であったかと思っているだろう。
 思い出したが、わたしが中学生のときに美術の田村進先生が、何故か、生徒を教室に集めて、アウシュビッツの記録映画を八ミリで見せてくれた。ショッキングな映像は、たぶん、この『夜と霧』の当時は輸入禁止にされていた映画をヨーロッパに旅行していたので、持ち帰ったものではないのかといまになり思った。思えば、そういういい先生に習ったわれわれは幸運だった。歴史の現実を覆ってはいけない。それを先生が子供に教えた。
 『夜と霧』はベストセラーになり、わが家の書棚にもあった。子供のときに何だろうと手にとって開いたら、末尾にある収容所のショッキングな写真を見て、衝撃を受けたことを憶えている。
 本というものは、このコロナ禍で教えてくれる出口を示す。これからも本という出口を探してゆきたい。


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