コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

梅雨明け そして夏の開店初日

 へばりついていてしつこい梅雨前線はようやく消えてくれた。すると青空。いままでは室内に干していた洗濯物をベランダに干した。
 おふくろの句集の注文はまだ来ていた。石垣島の女性から送ってほしいと。Webで見たというから、西の端からも見たという人からの電話に驚く。用意していた句集も後少し。青森から返送させよう。
 海水パンツで街中を歩くのも慣れた。アロハシャツも買ったが、それはまだ着ていない。確か海開きは今月の18日でなかったか。それから学校の夏休みが始まる。どっと海に繰り出すだろう。同じ湘南海岸でも、平塚だけは観光地でもないから、よそから泳ぎに来る人は少ない。隣の茅ケ崎のサザンビーチのほうが賑わうだろ。江の島周辺は今年は海開きはしないと報じていたので、その海水浴客が平塚などにどっと押し掛けることはあるだろう。鎌倉の由比ガ浜でも7年前に上京したてのときに、一人泳ぎに来たが、シートを敷く場所の取り合いではないが、びっしりとシートにテント、パラソルが密集していた。波打ち際だけが空いていたので、そこで寝ていたら、満潮で波が体の半分まで洗ってきたとき、警備をしている人たちから注意された。毎年泳ぎにきていた。三浦半島はあちこち行った。城ヶ島や油壷でも泳いだ。葉山の一色海岸でも、片瀬海岸、鵠沼でも泳ぎ、大磯までも足を延ばした。湘南で行ったことのないところはない。それでそこが気に入り、この辺りに暮らす人はいいだろうなと、羨ましがった。まさか、そこに老後に移住してこようとは思わなかった。
 平塚は松の多い街でもある。市街の通りには松並木が実に多い。それは東海道線から海側だが、昔からの保養地であり、東海道で宿場町であった名残がいまもある。歩いていたら、大きな松が道路にはみ出ていたが、それは切れないで保存されているもの。歴史的な扇の松という後藤象二郎の旧宅があった傍にある。普通なら道路に邪魔だからと切るか移設するのに、そうしてそのまま保存されているのがいい。
 また歩いていると高山樗牛の旧宅跡に出会う。いまは工事中のようで、石垣が立派なのは当時のままだろうか。建物は復元されたか、改修されたか、いずれ公開されるのだろうか。
 それからまた先に進むと、南図書館があった。わたしが行くのは中央図書館だが、海岸のほうにもスポーツ施設と一緒になった図書館が三階にあった。そこで涼む。すでに汗びっしょり。広い図書館だ。新聞と週刊誌を読んでくる。
 一度通った道路は通らない。そうしたら思わぬところに出たり、見たりする。
 やがて、袖ヶ浜に至る。変なところから砂丘に入ったので、立ち入り禁止のロープが張っていた。どうしてかビーチまで下りてゆけない。見たら、砂丘は高くなっているが、それが雨で崩れて崖になっているのだ。たいしたことはないが、端に乗ると砂ごとどっと崩れて子供なら生き埋めになるだろう。それで遠回りしたが、テントを張ったり、ビーチチェアで日焼けしている人たちのいる浜辺に降りる。それも数人と数えるほどしかいない。平日で、海開きまで早いので、海水浴に何人も来ていない。子供らが三人だけ海に入って遊んでいる。それとカップルがパドルボードに乗って沖合に漕ぎ出していた。わたしも波打ち際にシートを敷いて、海に飛び込む。暑いから気持ちはいい。久しぶりの青空と太陽で、富士山も見えていた。それにしても誰もいない海だ。いまはもう夏、誰もいない海か。
 シートに寝そべり日焼けモード。それで本も読む。三回目の海水浴だ。それにしても人が少ないのは淋しい。去年と同じか。去年は千葉の稲毛海岸で泳いだが、それでもやはりコロナ自粛で少なかった。海ぐらいいいだろう。街と比べたらあまりにも密ではなく疎。
 夕方になって帰ろうとしたら、仕事が終わった若者たちかサーフボードを自転車に付けて走ってきた。なんだ、これからか。ビキニのお姉さんたちもこれからと来ていた。遅い。待っていたのに。サンダルが砂で気持ちが悪い。シャワーもあったが、それでもビーチを出るまで砂丘を歩くから一緒だ。
 帰ってから、そのまま部屋に入ったら、玄関マットも黒くなるし、床は砂。子供を叱るみたいに、ちゃんと足を拭いてから入れよと、自分を叱りつける。汗は引いていた。


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