コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

失明とはどんなことか

 わたしは目が弱い。他にはあまり病院にかかったりはしないのだが、眼科には縁がある。それもここ10年くらいのものだが、もともと近眼で高校生のときからメガネはかけていたが、あまり眼科に通ったということもなくずっと来ていた。
 年とともに目も弱くなる。耳も遠くなりと、機能が衰退してくるのは仕方がない。8年前に糖尿病の疑いで検査入院したときは、県立病院の眼科も受診させられた。糖尿病で失明するのがいまは一番多いという。結局、二週間の検査と教育入院ではシロで、糖尿病ではなかった。眼科で調べたとき網膜剥離を見つけ、このままま放置すれば視力低下で失明すると脅かされ、その場でレーザー治療した。そのときは、仕事でもプライベートでも一日の半分はパソコン操作をしていたので、先生に、それでそうなったのかと聞いたら、それなら世の中のサラリーマンはみんななっているだろうと言うのだ。それだけでなく、わたしの場合は本もかなり読んでいた。目が休まる暇がないくらいだ。目を酷使したせいか、先生は普通の人より網膜が薄いから目は大事にしなさいと言われた。それが右目だった。
 一昨年に早稲田近くの国立国際医療センターに二週間入院して、股関節の人工置換術の手術をしたときも、上から下まで全部調べられた。それで見つかったのが眼科で今度は左目が緑内障というのだ。それも放置していれば視野が狭くなりやがては失明するのだとか。どうしてそんなことになったのか解らない。
 それから二年以上も市ヶ谷の眼科に通って三か月に一度の検査で眼底と視野を調べた。眼圧を下げる点眼薬は毎日している。今度、平塚に引っ越してきて、近くの眼科に市ヶ谷から紹介状をもらって行ったが、地方都市の眼科医院といっても、市ヶ谷は先生一人で患者も少なかったが、そこは五人くらいの先生に患者が60人くらい待っていた。入院設備もあり手術もする。先生が調べたら、またわたしの右目の網膜に穴が開いていて、それが広がったら大変なのでと、その場ですぐにレーザー治療をした。今度は8年前より多くの照射をした。同じ右目だ。
 おふくろと姉は近年白内障で手術をした。それはよくあることらしい。レンズが白く濁るから新品と取り換える。いまでは日帰り入院で簡単に済むようだ。眼科が混むのはどんな病院よりも異常だった。世の中眼病の人が如何に多いのかと思わせた。
 もし、知らないで放置していたら、手術や入院ということがなかったら、次第に見えなくなり、失明していたかと思うとぞっとする。わたしの青森のペンの仲間の女性は糖尿病で失明した。そこは親も兄弟もそうで、遺伝体質なのだろうが、あるときから白い杖をついて、彼女も負けん気だから、一人で市街地の商店街を歩いて感覚的に散歩ができるよう学習していたのは頭が下がる。わたしとは仲がいいので、会合でお逢いすると、隣に座ってお喋りをよくした。ところが、別の人が来たので席を立つと、そっちに行ってまた戻ると、彼女は、不機嫌に「いま、席を立ちましたね」と言われた。黙っていなくなると、いるものと思い話かけている。目の不自由な人には失礼なことなのだ。ちょっと席を外しますと断るくらいの気配りが必要と知った。
 駅のホームから落ちて目の不自由な人が電車に轢かれたという話もよく聞く。わたしもいつ失明するか解らない。そうなるとどういう生活になるのだろうか。本が読めなくなるのは辛い。テレビはどうでもいいが、ラジオがあるから音楽は聴ける。旅もできなくなるが、わたしならするだろう。人の手助けでするのも悪いので、いまのAIを使った介助ロボットが誘導してくれるものがあったら使うだろう。ゴーグルのように頭に装着すると、機械が信号の位置や階段、目的地まで声でナビしてくれるというもの。それがあれば盲導犬はいらなくなる。そんな時代はすぐに来るだろう。自動運転の車もあるくらいだから。それを使えば電車にも飛行機にも乗れて旅行は一人でもできる。海外でも使えたらいい。
 前に登山の好きな全盲のロッククライマーがいた。その方の本も読んだが、なんでもやってみようというのがすごい。山登りもできたら、風景が見えなくても感じることはできる。海でも泳げる。点字も覚えないといけないが、耳で聴く文学もCDであるから、聴いて楽しむ。部屋では一人でなんでもできるだろう。だけど簡単なものではない。失明しても昔からではないし、初心者なので、苦労はすると思う。段差でつまづいたり、危険はいっぱいある。バリアフリーでないところが多い。駅のトイレも入口に立つと全盲の人のために親切に録音案内が流れるのをいつか聞いて驚いた。それがなければ人の世話にならないと入れない。スーパーでの買い物も不便だろう。どこに何が売っているのか解らない。そうなるとネットスーパーから配達してもらうよりない。声でメールはできる。パソコンのソフトが画面を読み上げてくれる。
 どちらにしてもいままでの生活はできないのだ。機械のお世話にはならないと生きてゆけないだろう。杖の変わりのAIスーツケースがいま実証実験中という。それなら普通に買い物もできそうだ。
 年だけでなく、ある日突然、なんらかの病気で目が見えなくなるという恐怖は、誰にでもあることだ。明日は我が身と覚悟したい。
 これを書いてから、図書館で新刊を読んだが、『全盲ハッピーマン』という大平啓朗さんの書いた本と出会う。若いときに失明してからめげることなくいろんなことに挑戦する。肩書は旅カメラマンだ。目が見えないのにどうしてと思うが、感ずるところで撮っているのは心のファインダーだろうか。スキーやスキューバもし、山歩きから様々なスポーツもやる。全国を一人で旅し、目が見えるわれわれ以上の行動力に驚く。そういう人もいると知っただけでも心強い。

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