コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

生命保険は必要か

 このたびの眼科のレーザー治療も手術にはなる。眼科の精算のときに窓口で、保険は掛けてありますかと、聞いてきた。掛けておりませんというと、保険でかかった費用はおりると言ってきたが、18000円では。前に青森県立病院で網膜剥離のレーザー治療をしたときは18万かかり、その3割負担でも6万円かかった。そのときは掛け捨ての安い、月額1500円の国民共済に入っていて、全額費用は後でおりたが、それも6万いくらだが、そのためにやたらと書類を出した。その書類だけでも面倒くさいと思うのだ。後にも先にも保険が降りたのはその一回きり。それまでも入院はいままでで五回しているのだが、三日だけの検査入院だけのときもあったし、糖尿病の検査と教育入院では保険適用にはならないだろうから、手術した入院はいままでで2回だけだった。そのときはどちらのときも生命保険は入っていなかったが、高額医療の請求で260万の人工置換術の手術が6万円で済む。二週間入院したが、歯の治療も入れて8万円で済んだ。その後の前立腺肥大の摘出手術も二週間の入院であったが、それぐらいで済む。結局、いままで入院してかかった金額の合計は20万円少しぐらいのものだ。半世紀近くでそれだから、これを毎月生命保険を2千円ずつでも掛けていたら、半世紀で120万くらい掛け棄てていたことになる。人は何が起こるか分からないが、保険を掛けていて助かった人もいるだろうが、わたしは逆に保険を書けないで助かったと思う。これは自分への掛けではなく賭けなのだ。
 この平塚のマンションに越したとき、不動産屋からの紹介で生保の社員から資料を送ってきて、電話もいただいた。セールスなのだが、見たら最低6千円の月額の掛け金でわたしは断った。年金だけで生活することになるから、万が一のときは考えないで、生きている楽しみで生活費は使いたいと。それでもセールスは後のことを考えないとと、死亡のことは言わないが、葬式代のことを言っていたのだろう。それもわたしははっきりと言った。息子たちのほうが金持ちだし、葬式はいらない、墓もいらないと息子たちには言ってある。死んでも何も残さないし、金はかからない。献体に回せば簡単な埋葬費用ぐらい出ると聴いている。ご病気で入院されるときは? と突っ込むので、それは前に何度か手術もしましたが、高額医療の請求で安く済みました。というと、個室では差額ベッド代がかかりますでしょうと食い下がる。個室なんか贅沢はしません。相部屋のほうが楽しい。いろんな人と知り合いになれる。通院の交通費だとか、入院に必要な諸々と金がかかるのはと聞くので、そんなものはたいしたことがないでしょうと、やりこめる。わたしも保険の代理店をしたことがあり、試験も受けて資格を取ったことがあるので、セールス経験がある。相手の手の内は見えている。生命保険なんか、いらないというのがわたしの信条で、掛けても掛け捨ての少ないもので結構。
 ただ、損保はいる。いまは、不動産屋の賃貸契約のときに強制的に損保は入らせられるから、火災も地震も安心だ。それと別でいまは自転車も危ないから、月額150円の安いネットの自転車保険でカバーできると入っている。
 損保は相手があることだから、いつ何があるか分からない。青森にいたときは、息子たちが小学生のとき、近所の空き地でサッカーをして遊んでいた。息子の蹴ったボールがおばあちゃんが乗った自転車に当たり転倒し、足を捻挫した。それで後でその家の人が賠償を求めて古本屋に文句を言いにきた。わたしは謝り、それからひと月もおばあちゃんを近くの外科に通うに、毎朝車で迎えに行って医院に連れてゆき、混んでいても待って、終われば家まで連れてゆくという仕事も午前中はできないし、母親がいないときで子供三人の飯の支度しなければいけない主夫であったときで、それでは生活破綻もする。おばあちゃんは、若いわたしに対して話し相手ができたと、毎朝化粧してうきうきとして出てくるのだ。足は大丈夫なのではないのか。骨折ではなく捻挫だが年寄りは治りが遅い。それで、いままでの外科はヘタだから、別の少し離れた外科に換えようと言ってきた。まだかかるのかと、わたしは何万円か包んで、「これで勘弁してください」と、家に行って頭を下げたら、おばあちんは、「ふん」と、金を受け取り怒ったように家に入った。歩けるのではないのか。
 そんんなことがあってから、青森市でやっている年額300円の掛け捨ての保険を三人の息子に毎年掛けた。いまは学校でもそれは入っているようだ。
 それと、古本ビルを買ったとき、青森はよく豪雪都市なので、雪での近所とのトラブルが発生する。うちのビルの屋上から氷の塊(つらら)が落ちて、下に止めてあった車の屋根がへっこんだと、隣の空き地は駐車場であったが、若い女性が古本屋にクレームに来た。それはおかしい。屋根の真下はうちの土地だし、塀もある。その上、そこは除雪した雪が山になっている。6メートルくらい離れたところに車を止めていて、つららが飛んだのは考えにくい。そんなつららなんか、歩道橋の下を走っても、スーパーに買い物に行っても、どこで落ちたものか分からない。と、反論して請け合わなかった。
 隣の駐車場の持ち主はわたしと同じペンクラブの仲間のおじいさんであったが、おたくのビルの上から氷が落ちてきて、ブロック塀を壊したと、言いにきた。見たら、境界の塀に大きな穴が空いている。それは春になって雪が解けたら見えたのだ。だけど弁償はしなかった。よく見たら、ブロックはうちの敷地のほうに崩れていた。ということは、上から落ちた力ではなく、外側からの圧力で壊れた。それと、塀の駐車場側には新しい傷が一直線に穴の空いているところまで引かれていたのだ。見たら、別の塀にも傷が横に引かれている。ははん、それは駐車場の除雪を頼んだ土建屋のブルドーザーがぶつけたのだ。雪の山で見えないから、ドンとやってしまったのだ。その明らかな傷がこすった跡なのだ。それをおじいさんに話した、どうも解せない様子だが、状況はどうもそうらしいと諦めた。


 そんなことはどこにいてもいろんな突発的事故もあるだろうから、損害保険だけは入っておいたほうがいい。それも、知り合いの奥さんが大手の生保にいるが、あるときから損保もできるようになり、わたしが火災保険の申し込みをしたいと、契約したら月額15000円なのだ。後でいろろいろと調べたら、高い。それで満期になるといくら戻ってくるという積立型であることを知る。10年後にこれだけ受け取れますと言われても、それは自分の金だろう、嬉しくもなんともない、いまはゲルピンなので、いまいまの生活のほうが大事で、将来どうのと言う気はさらさらない。掛け捨てでいいのだと言うと、奥さんは何か気が進まない様子。きっと自分への見返りが少なくなるからだろう。
 それで生保はやめて、県民共済でやっている安い掛け捨てのにしたら、月額何千円もしない。それでいい。その奥さんには自分の分も含めて子供たちの分など月額で5万いくらも生保だけで掛けていた。息子たちが社会に出たら、全部解約した。仕事をしているのだから当然、自分で入って自分で払え。それでも安い掛け捨てにしろよと言ってやる。生保会社のビルの柱代にはするなと。
 いまは老人相手に葬式代を残しませんかと、怪しい勧誘と広告が多い。85歳まで掛けられて補償は一生続くと。受け取れる金額と掛け金がどうも合わない。何か信用ならないのだ。生保はいらない。死んだらみんな終わりなのだ。後のことは考えない。誰もいないのだし、理想的な死に方は旅の途上での野垂れ死にだから、余命何か月と宣告されたら、全部整理して経帷子に杖ついて脚絆を巻いて草鞋姿で旅に出る、死んだらその恰好で棺桶に入れられる、ちゃんと六文銭ならぬパスポートは持っていて。

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