コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

おふくろの句集が新聞に載った反響から

 青森の新聞社の記者の方から何度かお電話をいただいていた。わたしがマスコミや図書館にもおふくろの百歳の記念の句集『百歳百句』を送ったからで、新聞の片隅にでも紹介してくれたらと、手紙も添えた。その記者の方は、わたしの取材を何度か前にされた方で、声で覚えている。新聞記事とおそらく同じと思うが、先にWebで出た。地元の新聞のニュースでも、ヤフーなどで拡散するから、そっちから来たので驚いた。よく見たら地元の東奥日報社と書かれているし内容がどれも同じなので、docomoのdmenuでも同じものを見た。ネットの拡散とはすごいと思う。さっそく青森のペンと同人仲間の女史から、旅行から帰ったら、玉手箱を開けて年をとりましたかとメールが来た。そのWebのニュースには初めはわたしの年が間違えて4つ上に書かれていた。後で見たら訂正されていたが。そのネットの記事をリンクコピーしてメールで息子と北海道の姉などに送ってやる。すると東京の息子はびっくりして、ばあちゃんがヤフーニュースに載ったとWが書かれていた。よく見ろよ、東奥日報と書かれているだろう。全国ニュースではないんだから。北海道の姉は返信があったが、文字が切れ切れでようやく書いたという感じで途中で終わった文章には、「何度も見て泣きました」とあった。老いた母の写真も出ていたので、それを見たこともあるし、その前におふくろに電話をしたら、喜んでいたというから、感激して泣いたのか。
 その翌日の朝刊に載ったようで、記者の方は今週中に載りますとは言っていたが、それが何曜日なのか分からなかった。その朝だ。7時から電話が鳴る。何事かと、滅多に電話なんか鳴らないし、何かあったのかと出たら、青森の大きな本屋の社長で、「しばらくぶり、お母さんが大きく新聞に載ってましたね。本を送ってください。全部なくなるとは思いますが、万が一余ることがあったら、うちの書店に置きますから、送ってください」と、青森の商売の近況報告もした。わたしとは日専連の青年会で何十年も一緒に活動してきた仲間で、どちらかというと彼の姉の旦那のほうが親しく、ペンの仲間でもあったが、何年か前に亡くなられた。本屋の社長は、その夜にまたメールが来て、日専連の総会の懇親会の席で、彼は理事長をしていたのが退任して、その挨拶の中でおふくろの句集の宣伝をしてくれたという。
 その朝からバンバンと電話が鳴る。これは今日は一日部屋にいたほうがよさそうだと、テーブルの上にはメモ用紙とペンを置いて、句集に和紙のカバーをしたり、ビニール袋に入れたりと、準備をしていた。在庫は後25冊くらいだ。おふくろのところにもあるが、注文が殺到して、なくなれば妹に頼んで、句集を返送してもらおう。それでもなくなり欲しいという方がいたら、わたしのパソコンに原稿があるからメール添付で送ってやれるだろう。
 その句集が欲しいという電話の大半が高齢の女性からだった。95歳、92歳、84歳と皆さん年を言う。おじいさんもいた。たまに若い声というと、寝たきりの母が読みたいというのでと嫁さんか娘さんから電話がきた。相模原市の女性からはSNSで本の問い合わせが来た。平塚市の隣の街だ。Web東奥で見たというから、きっと青森出身の方なのだ。皆さんから住所だけ聴いて、せっせと梱包する。
 それまでは知らないで、普通に定形外の封筒に入れて、普通郵便で出していたら、250円とかかかっていたが、それより安いものがありますよと、窓口の人が教えてくれた。厚さ2センチ以内で重さ1キロ以内のA5判くらいのサイズなら、スマートレターというボール紙のケースになっていて、接着する両面テープもついているものが180円であった。なんだ、知らなかった、先に教えてくれたらよかったのに。いまはそういういいものが郵便局でも扱っている。冊子を送るにはちょうどいいサイズだ。
 新聞にわたしの携帯の番号が末尾に載って、問い合わせにしていた。スマホは二台あるし電話番号も二つある。個人用と業務用?か。それでその日は一日電話番だ。トイレにも風呂にも入れない。入ってもスマホとペンとメモを持って入った。飯時に電話が来た。買っておいたおにぎりを口に入れたときだ。ご飯も食べていられない。
 その電話の内容がいまの老人の心境を伝えて、わたしも考えさせられかなしくなったりした。95歳のおばあちゃんは、一人で寂しく、どうやって老後生活をおふくろが送っているのか知りたいという。もう死にたいがなかなかお迎えが来ないと、一人暮らしの長生きは地獄みたいなことを言う。
 80代くらいの女性は、いまから身辺整理して老人ホームに入る支度をしているが、そこはどういうところか、句集で心境を読んでみたいという方もいた。あるいは、俳句を習っているが、死ぬまでに句集を出してみたいというおばあちゃんもいた。
 青森市の老人からの電話は、「わたしは戦前に満州のスイカ営林署にいて、おたくのお父さんと一緒だった。あなたのお母さんのことは知らないが、青森から見合いの写真を送ってもらい結婚したらと勧めたのはわたしの父親だった。満州でお父さんとは一度お会いしている。親子で会いに行ったから」というなんとも80年以上前の話も出てきたりする。
 そうかと思うと、年齢はわたしぐらいだろうか、女性からの電話で、連れ合いが四か月前に亡くなり、これから先のことを考えたら、わたしのおふくろの入居している老人施設に入ろうかと思いますと、喪中でそういう覚悟をしている女性からお電話をいただいた。いろんな事情がある人ばかりが、百歳まで生きて、句集を出す人とはどんな人かと、人生の参考にしたいという言い方で、それだけでもおふくろも言っていたが、読んでくれるだけでもありがたい。誰かの生きるお役に立てればと。
 わたしもそうだが、趣味がなければお一人様の老後は確かに寂しく生き甲斐もなく辛いものがある。それを皆さん電話で訴えてくる。紙とペンがあればいつでもどこでもできる暇潰しが俳句や詩であり、ブログもそうだが、そのネタ探しと添える写真を撮ったりと、それも楽しみにはなる。今回の句集発送では、いろんな方々の老後を自分も身につまされるように考えさせられた。ずっと寝たきりにでもなれば、何もできずにベッドの上だ。その日が来ないともかぎらない。だから、いまのうちに遊ぶのだ。と、暑いのと天気がいいので、いまだとばかり海に泳ぎにゆく。
 https://www.hokkaido-np.co.jp/article_photo/list?article_id=565117

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