コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

いつからかネズミとゴキブリと蚊を見ない

 いま暮らしているマンションにはネズミとゴキブリと蚊がいない。鉄筋の建物で上の階なら、ネズミは入れず、蚊は上がってこれないのだろうか。エレベーターに乗っても蚊はボタンを押せないから。鉄筋の建物でもネズミは見た。一昨年までわたしが勤めていた銀座の古いビルだが、早朝の巡回で一階の裏のゴミ置き場に行くと、大きなドブネズミがいっぱいいた。最初はびっくりしたが、それからは、ネズミたちに気づかれないようにそっと近づいて、いきなり、ニャオーと大声で飛び出すと、ネズミたちは何十匹も四方八方に逃げる。それが面白いと、朝にはいつもしていて、それが楽しみになっていた。飲食店もテナントで入っているビルなので、生ゴミも出る。銀座のネズミと銀座のカラスはわたしが詩に書いた。そうした銀座に寄生している動物たちがいることは、餌がいいからだろうかと思っていた。
 わたしが30年以上前に暮らした古本屋の木造の建物はそのどれもよく出た。特に古本屋の隣がラーメン屋で、建物も古かったので、隣からゴキブリがいつも遊びにきた。ラーメン屋が閉めて、その後にカメラ屋さんが入る。工事でがんがんと内装を壊していたとき、ゴキブリたちはうちの古本屋にこぞって避難してきた。それからがすごかった。ゴキブリはありとあらゆるところに入り込み、米櫃の中で糞もして、洗って食べたが、子供らはまだ小さいので、それは教えなかった。ご飯を食べなくなったらいけない。わたしよりずっとセンシビリティな息子たちだった。ゴキブリは炊飯器のデジタルの表示板の中にもうろうろといた。わたしは出そうとしたが、どうしたらいいか分からない。「おい、どこから入ったんだ」と、聴いても答えない。
 そこから引っ越して、浅虫に新築の家を建てたときも、荷物についてきて、ゴキブリ一家も引っ越してきたので、うろちょろといた。それをおふくろが退治したのだ。玉ねぎのみじん切りとホウ酸をこねて、ホウ酸団子を作ってあちこちに置いたら、全滅したのだ。いろいろとやってみたが、それが一番効果があった。
 それからはゴキブリの顔は見ない。ネズミも見ないし、蚊も青森市内のマンション生活であつたが、出なかった。東京に出てきたら、小石川のボロアパートの四畳半ではゴキブリと蚊がいて、その戦いは続いた。思えば網戸もない部屋によく一年暮らした。
 千葉での生活も快適で、マンションは古かったが、その三点セットは見なかった。蚊はたまにはいたが、刺されることもなく、スプレーで済んだ。
 いま、平塚ではスプレーは買っているが、使わないし、外から蚊も入らないし、ゴキブリなんか見たら懐かしく、きっと抱き合って再会を喜ぶほどではないのか。
 ドラッグストアでは、いまは店頭に夏の虫除けのいろいろを並べている。一応、平塚も田舎で、公園も樹木も多いから、虫はいるだろうと、蚊取り線香入れも買ったが、使わずに済んでいる。蚊取り線香の臭いがいい。夏らしい季節感がある。それで使ってみたいが、いまのところ出番がない。
 本を持って近くの公園のベンチに行ったりすると、サンダル履きにハーフパンツで、足はむき出し。すると夕方までいたら、蚊の集中攻撃を受けた。これはたまらんと退散してきたが、今度は防御のために、野外用の携帯防虫スプレーをリュックにいつも入れておくことにした。キャンプのときもよくそれは使った。
 どうしてか、人間に嫌われるネズミとゴキブリと蚊が少なくなったのは、昔のようなドブもなくなり、ネズミ返しもあり、入り込めない設計にしたり、生活の工夫がされていること、テレビでも宣伝している撃退のための殺虫剤が普及したことではないだろうか。そういう嫌われ者、人間の生活に入り込んで生きている害虫や動物が住みにくくなってきていると思う。
 体が痒いなと思ったら、今度はダニか。スプレーは欠かせない。毛布やタオルケットも天気がいいと干すが、梅雨どきではスプレーよりない。蚊帳を吊った昔は蚊も多かった。夏の風物詩であった。コロナウイルスにも敏感になったわれわれは、除菌除菌と毎日が消毒で、ますます彼らは近寄れない。ウイルスのために生活の場を奪われて大変なのだ。今年もまだ一度も部屋では虫に刺されていない。エアコンも効いて、生活は快適になって、われわれは季語のない空間で暮らしている。

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