コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ベートーベン生誕250年とか

 クラシックファンではあったが、最近は遠ざかっていた。気持ちの余裕がなかった。仕事と私生活の往復で、暇があれば、テレビを見たり、スマホでネットを見たりと、音楽はラジオをたまに起きたばかりの休みの朝に聴くだけだった。テレビでも、日曜クラシックはたまに見ている。それで知ったのだが、今年はベートーベンの生誕250年で、ベートーベンのプログラムはどうしても多くなりそうだ。
 千葉の図書館に通って、音楽CDを借りることを忘れていて、先月からまた借りて聴き、録音することにした。音楽を忘れるほど忙しかったのが、コロナで家にいる時間が長くなると、そうだ、クラシックをまた聴こうと思い出した。
 クラシックでは、好きな作曲家は誰ですかと、よく聞かれる。そのときにベートーベンというのが恥ずかしい。好きな作家と聞かれて夏目漱石と言うのと同じで、そうか、この人はその程度かと思われたくない気持ちがどこかにある。よく、初心者はベートーベンから入り、クラシック入門で憑りつかれ、ずっぷりと入り込むようになると、ベートーベンからは少し離れ、いろんな曲を聴くようになる。そして、最後はまたベートーベンに戻るとよく言われる。いいものはいいのだ。そのよさを再認識する。それと、年齢で、聴くものが、違って聴こえたり、若いときは響かなかったのに、心の琴線に触れて、改めて感動するということもある。人生経験も違うし、年老いてくると、ちょっとしたことで涙ぐんだりと、若いときとはまた違う感受性ができるようだ。
 わたしが若いときに聴いたベートーベンでは、交響曲の中では6番の田園と7番が好きで、聴いた曲のうちお気に入りをノートに書き連ねていたが、その中には、この二つが入っている。それとピアノ協奏曲では3番のハ短調が一番好きで、冒頭のテーマをよく口ずさんでいた。子供のときに、親がステレオを買って、応接間にでんと置いた。レコードはクラシックばかりだったが、その中にケムプの弾くベートーベンの三大ピアノソナタの月光・熱情・悲愴が必ずカップリングされているのだが、それと、ブルーノ・ワルターのコロムビア響とのベートーベン交響曲全集のボックスがあり、そればかり小学生のときから繰り返し聴いたもので、耳から離れない。初恋の人がピアノを弾く中学生で、親父の親友の娘であったが、札幌の藤女子に通学していた。彼女と趣味を同じにしようと、通っていた教会にあるアップライトピアノでバイエルは40番くらいまで友人と二人で練習したが、自分には音楽的才能はないと、途中で諦めた。独学の壁にぶつかる。友人は才能があった。同じ高校生で独学して、東京の音大に入り、それから帰郷してからは地元青森の高校の音楽の教師をして、いまは定年退職はしたのか。彼のお誘いで、年末に青森市でもやるが、市民による第九の会にも入って、第九の合唱をバスで参加した。四か月、仕事が終わってから市民会館に寄って、ドイツ語の楽譜にルビを振って、発声法からやらせられた。声楽なんか嫌いだったが、市民交響楽団の後ろで、昼間と夜の二回の公演に、礼服と蝶タイをして出たときは緊張したが面白かった。いい経験をさせてもらった。
 ベートーベンはベートーヴェンといつも書いていた。いまはベンと書くのか。他に好きな曲はエグモント序曲、ピアノソナタではニ短調のテンペストも好きな曲でよく聴いた。声楽曲と合唱曲も多いが、わたしはあまり好まないので、ノートには書かれていない。
 思えば、ベートーベンで好きな曲というのはそれぐらいよりない。ブラームスとモーツアルトのほうが好きなので、それよりは多い。
 今年の春にヨーロッパ旅行をしてモーツアルトの生まれたザルツブルグには行く予定でいたが、ドイツにも寄っても、ベートーベンが生まれたボンには行く予定はなかった。まだブラームスが生まれたハンブルグのほうは北のほうで、ちょっとコースから外れるが、そのうち行ってみたいとは思う。
 若いときとは違って、クラシック熱は冷めていた。コンサートにも行かない。N響の会員でもあったが、いまは新聞広告で、聴きたいものがあっても行かないし、新譜のCDが出ても買うことがない。ラジオで聴いて終わりだ。飽きたのではなく、のめりこむ情熱がなくなっただけのことだ。ギターもチェロも手放して、またやってみようとは思わない。音楽は卒業したようなものだ。いまは生活のBGMで流れていればそれだけで満足だ。

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