コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

東北返路 3

 双葉町から普通列車で、今度は原ノ町まで行く。そこも9年前に来ていた。3,11の翌年で、南相馬市の人口が半分になり、市の原発寄りが避難区域にされて住民が移住を余儀なくされた。わたしが旅したときはまだガードレールが津波で飴のようになっていたり、川に車が落ち込んでいた。
 鈍行に乗っていたら、誰も乗客はいない。がらんとした列車がわたしだけ乗せて走る。これが現実なんだと寂しい思いをしていたら、小高の駅からどっと高校生たちが乗りこんだ。座席は満席になり立っている人でいっぱいになる。よかった。わたしはいままで落ち込んでいた気分がその賑わいで暗から明へと変わる。絶望から希望へと一瞬で一転したような気分だ。わいわいと話している若い人たちがこんなにいるから、まだまだこの町は安泰でいいぞ、じじばばばかりでは明日はないが、若い人たちがいるのは救いがある。わたしの隣で遠慮している男子高校生が、手にカレーのつけ麺をコンビニで買って持っていた。食べないと伸びるだろうと、気になるが、彼はわたしの隣で食べられないように手にしたまま降りた。そのとき、すまみませんでしたとわたしに謝る。なんだ、そんなこと、食べたらよかったのに。
 途中の相馬駅前の蕎麦屋さんの建物もあった。そこのご主人も親父の友人で、蕎麦屋の片手間に姓名判断をしている有名な先生なのだ。うちの長男の名前はそこの先生につけてもらった。今回は誰とも会わないと決めていた。コロナを移してもいけない。もう一人、相馬焼の陶芸家がいた。わたしが青森でギャラリーをしていたとき、東北の窯という企画展で、そこの陶芸家に頼んで一週間の個展をしてもらった。二人で車で来たが、あまり売れなかった。いまはどうしているものか。
 原ノ町で降りたら、駅前は9年前より変わっていた。あのときは、飲食店もなく、駅前の古い立食の店でうどんを啜った。いまは人も歩いて賑やかだが、飲食店がない。ここでも昼飯は食えない。駅前にある前にも寄った図書館に入ってみた。あのときは、図書館もできてから1年半のときで、震災の三か月前に完成した市立図書館なのだが、建物は和風の蔵のイメージで、二階には空中庭園があり、南欧風のテラスになっている。館内も自由空間で座席が自分だけの書斎という雰囲気に驚く。いままで全国の図書館を回ったが、ここが一番気に入る。前に来たときは、どなたの設計てすかと職員さんに誉めちぎって聴いたら、いま、副館長を呼んでまいりますからと言われて恐縮した。図書館という知の財産を町に残そうと思った市長さんも偉い。
 時間がないので、そのまま次に来た列車に乗り込む。ぼやぼやとしていると一時間や二時間は列車がないのだ。ローカル線の旅は時刻表との格闘だ。青春フリー切符のように、頭も使わないと、鈍行の旅はその日のうちに目的地には着けないのだ。
 仙台が終点で乗り換えだ。仙台駅で迷う。今夜の泊まりの石巻までどうやって行くのだ。仙石線でいいのではないかとホームに行ったらどうも違う。それで駅員さんに聴いた。仙石東北ラインというのだそうだ。ややこしい。その快速に乗る。石巻は行ったことがない。途中の塩竃には親父の友人がいて、葬式にも来てくれた寿司屋さんがいた。震災の年の暮れに、仙台で古本の市があり、息子と車で来たとき、塩竃に行ってみた。多賀城跡と塩竃神社を見て、寿司屋さんに入って美味しい寿司をいただいた。手土産も持ってきたが、昼時なので息子さんと嫁さんが出てきたが、忙しいと思い、ちょっとご挨拶しただけで出てきたが、店は津波でやられ、新しくリフォームしたのだとか。その国道沿いは寿司街道とも呼ばれている寿司屋さんが並ぶ。裏の漁港も見たが、岸壁のコンクリートの塊が積み木を崩したようになっていた。山腹にはボートが打ち上げられたり、コンテナが線路に掛かっていたりと、これは復旧は大変だろうなと思わせた。
 その先の松島も電車で通る。松島は島が防波堤になって被害は少なかったのだとか。すると、電車は突然停まる。30分くらい停まり、アナウンスでは、倒木が危険なので、安全確認をしていますと。それからは石巻までのろのろ運転でダイヤは乱れ、到着したら1時間の遅れ。夕方になり、もう歩けないので真っ直ぐに宿に行こうと、その日の行動はなしにした。
 石巻の駅前から石ノ森章太郎のマンガばかり。それは聴いていたが、マンガロードとか萬画館もあるのだとか。町のあちこちにマンガの主人公たちが等身大で立っているが、盗まれないように、防犯カメラが設置してありますと書かれている。009の前で写真を撮る。わたしの好きなマンガは快傑ハリマオだったな。
 宿は前泊のホテルと同じ料金で安いが、どっと落ちる駅前旅館だった。井伏鱒二の小説にもある駅前旅館だ。それもペーソスがあっていいかもしれない。駅前シリーズは映画化されて森繁が主演で大人のH場面もあるのに、わたしは小学生のときに近くの東宝でみんなシリーズの映画は見た。
 先日から6年も休んでいたSNSを再開して、スマホで撮った画像だけをアップしていた。それを見て、前に青森にいた友人で仙台の子供のところで老後を暮らしている仲間からメッセージがきた。近くまで来ているので、おれのところに泊まってと、暇を持て余して、退屈していたところだからと。忘れていた。彼がいた。同じ町内会で母親同士が同級生、よく麻雀をし、酒も飲んだ幼馴染だ。コロナを移してもいけないから、またねと返信する。
 部屋に案内される。和室6畳にベッドとテレビと小さな冷蔵庫、座卓がある。晩飯はつかないので、外食にする。駅前には居酒屋ばかりだが、そのうちのひとつに入る。まずはお酒は? と聞かれるが、酒は駄目なんですと、定食だけとする。酒も前のように飲めたらいいだろうな。いまは弱くなり、ビール一杯でダウンだ。具合も悪くなる。
 部屋に戻り、風呂に入るが家庭の風呂を大きくしたような一人用。熱すぎてかぶるだけにした。それから部屋でこのブログを書いた。なんだか歩きすぎて疲れていた。と、地震があった。東北に入ると地震は名物みたいなものだ。別に気にもしない。
 電灯を点けたままベッドで寝ていた。夢も見ない無の世界に沈んでゆく。


×

非ログインユーザーとして返信する