コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

果実はなぜかくも高くなったのか

 さくらんぼが食いたい。だけど、高くて買えない。別に食べたかったら買えばいのだ。が、なんだか、青森にいた時と比べたら、手のひらに少しで300円もしたら、ばかばかしくて買う勇気がないのだ。青森県は山形県に次いでさくらんぼの生産量を誇っていた。いまはどうか。三戸にはよくさくらんぼ狩りに家族で行った。木が高いので、梯子に上って取ったりした。太宰治もさくらんぼが好きで、桜桃の小説の中で、子供に食べさせないで、自分だけが好きなものだからさくらんぼを食べるときの名言を吐いた。「子供より親が大事、と思いたい」そこから同郷の作家今官一が付けた太宰の命日の桜桃忌はもう過ぎたが、いま時期がさくらんぼの成る時で、うちの祖父がやっていた畑にもあってよく取った。
 子供のときは、メロンは別格だが、たいていの果実は子供の小遣いで買えた。うちの生家の隣が果実屋であったから、よく10円玉を握って買いに行った。物価が違うから、いまから60年前の10円はいまの百円かもしれない。それでもそれでいろんなフルーツが買えて、それが子供らのおやつになった。
 それより、あちこちに果実は成っていた。ただでもらう。親戚からもどっさりともらう。りんごなんか買うものではなく、もらうものだと前にケンミンショーの青森県のところで言っていたが、それに近いものはあった。
 秋に都内の果実屋で見たアケビが三個で200円で売られていたのは驚いた。あんなものは、いくらでもその辺の山にゆけば成っている。それが堂々と果実屋でプラケースに入れて売られている。田舎者だから、そういう都会では手に入らない輸送費と手間を考えたら、それでも安いのかもしれないということが解らない。それは田舎では普通に栗拾いもしたし、春は山菜、秋は茸狩りと、裏山にゆけばいくらでもあった。わたしが住んだ浅虫温泉の敷地は畑もやったが、結構広かった。そこにはフキもなるし、春先にはフキノトウも出た。東京の姉がフキノトウで味噌を作りたいので送ってくれというので、うちの子供らがまだ小さいときに、庭に出ていたフキノトウを取って、東京に送ってやったことがある。
 弘前の友達の家に遊びに行ったときは、庭の生垣にプラムがいっぱい成っていた。わたしは好物なので、どうして収穫しないのかと彼女に言ったら、もう食べ飽きたらしい。それならと、どっさりといただいてきた。プラムといえば、親父の弘前の愛人から、毎年ダンボール箱でいっぱいもらった。わたしは毎日食べすぎて鉄分はいいが、下痢もしたくらい食べた。おふくろが愛人に念書を書かせて、もう、うちの人とは会わないようにと離したら、プラムは送ってこなくなる。わたしは怒った。どうして別れさせた、プラムのために我慢しろと。


 柿も一個100円以上するのは許されないと、自分は意地になってもスーパーでも買わなかった。叔父からよくもらったし、まさか柿が一個200円と高級品になっているとは思わない。東北は果実の産地でもあるが、青森県はスイカとメロンも産地で、津軽半島の西海岸に行くと、砂地にスイカとメロン畑が広がる。夏になると軽トラで、屏風山のスイカとスピーカーで叫びながら売りに来る。夏の終わりにはそれが一個50円の捨て値で、親父もみんなスイカ大好き人間なので、どっさりと20個くらい大きなのを買って、廊下に並べてあった。それを毎日二個ずついただいた。姉なんか好きなので、大きなスプーンで半分カットしたスイカにかぶりついていた。水代わり、ジュース代わりに食べていた。白いところは腎臓にいいとか。そのスイカも古くなるとよく爆発した。廊下でスイカ爆弾がまた破裂したと騒いだ。
 スイカも今年の春に中玉がイオンで売られていたのを買ったが、季節外れにしては一個がなんと破格の298円だった。さっそく買って帰って食べたが甘くて美味しかった。なんら問題はなかった。南半球の南米産とあった。イオンでまとめて仕入れたようで、あちこちで売られていた。それもスポットなのか、次に買いに行ったときはもうなかった。それは食べたが、後はスイカは出始めから、6月末になっても一個が2千円とか、一人では食べきれないので、切ったものでも398円と高いのだが、仕方なく買った。
 スイカが如何に都会は高いかということを青森に連れてきた相方に実際のところを見せたことがある。スーパー藤原という安い店があるのだが、そこの店頭では、中玉のスイカが五個で400円とかでビニール袋に入れたり、荒縄で縛ったりして売っているのを見せたら驚いていた。
 とうもろこしも食べたいが高い、どうして一本200円もするのだ。理不尽だと田舎者は思うのだ。いちじくもいつから高級品になったのだ。千葉県はビワの産地だが、ビワも高級品で贈答用になり、ホームユースではおいそれと買えなくなった。イチゴもそうで、なんでも果実は高くなる。しょうがないから、98円のフルーツ缶で我慢している。葡萄も食べたいし、いまでも外国産の二種類が入ったパックが200円くらいなら買うが、400円ならとても出せない。ケーキよりも高い果実は暴利だと一人息巻く。それほど人々の食生活が豊かになったからだろうか。
 海外旅行に出たら、果実の安いのに小躍りして市場で買う。ヨーロッパでも東南アジアでもそうだった。ポルトガルではおばあちゃんがワゴンで駅前で売っていたイチゴに葡萄が1キロ100円だった。それでお昼ごはんにしたくらいだ。全然日本とは値段が違うのはどうしてか。仇をとるようにして買った。
 インディアンのように、昔、空、青かったとぼやくように、昔、果実、安かったと、ぼやいている。

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