コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

貧乏な古本屋

 時折見る夢は古本屋が多い。現在の夢はほとんど見ない。どれも青森が舞台で、古本屋に行ってみると、息子がいまだ仕事をしているという設定。思えば30数年間もかかわってきたので、人生で一番長く働いた。
 長くやってきたとはいえ、商売としては下流だった。資金のない状態が続き、なんとか子供五人を育てて、家のローンを払ってきたという感じだ。二人の女房は貧しさゆえに出ていったようなものだ。
 いまでも思い出すのが、その古本屋時代にいろんな美味しそうな話が来ても、資金がないかなしさで、買えないで、話だけが目の前を通り過ぎていったことだ。
 そのひとつが、まだ古本屋をやり始めたばかりのころ、うちの古本屋に不動産屋のおやじが車のトランクに古い和本などを積んで、いくらで買うかと、試しに寄ったのだ。見たら、仕掛け本で大きなナマズが描かれている刷り物ばかりの和綴じ本が、実はページを折れば男根であったりというワじるし本であった。宮武外骨の『アリンス国語彙』などがあった。そのころも金はない。レジの金と財布の金など集めて、ごうつくな感じのおやじに7万円と言ったら、せせら笑うようにして他所に行った。実は、郷土史家のじいさんが亡くなり、家を処分することになったのだが、その家の中にはそうした本ばかりが五万とあったのだ。それは青森でも一番古い木村の古本屋さんのところに行った。車で何回も運んだとか。青森では捌ききれないので、木村さんは東京の市にみんな送ってやったという。
 別の話では、懇意にしていた画廊のおやじさんで千葉さんから、突然電話をいただいた。いま、東京のオークション会場にいるのだが、樋口一葉の恋文が出た。150万だが、あなた、買っておいたらどうかと、ええ? そんな大金はひっくり返してもない。断ると、残念だな、それなら自分が買おうと言って電話は切れた。その後聞いたら、250万でさるところで売れたという。みんなそうしたいい商売をしているのは軍資金があるからだ。貧乏な古本屋の出る幕はない。
 またひとつ、友人からの連絡で、知り合いが、宮沢賢治の世に出ていない日記帳が出た。二人で買わないかと持ち掛けられた。250万というから、半分ずつ出し合って買おうよ。それをそのまま陰影本で限定出版して、売ったら儲かるぞと、そういう話も何か胡散臭い。俄かには信じがたい。世の中は偽物だらけ、詐欺だらけだ。まともに信じていいのか。それより金がないので断る。
 弘前のO先生が亡くなられ、その遺族と弘前ペンクラブの方から整理処分を任されて、自宅に入った。そのとき本は買い取れるものは全部買ったが、屏風を出してきた。棟方志功の肉筆の屏風だと見せてくれた。それはとても手に負えないので、東京の画廊さんに打診してみたらどうかと、なんと欲のないわたしは自分で手掛けようとしなかった。いまから思うと儲けそこなった。O先生は太宰治の友人で、その関係のものはきっと文学館に寄贈されたかもしれない。
 また、こんな引き合いもあった。それは青森ペンの仲間でわたしとは同人仲間で青森で医者をしていた先生だが、亡くなられたとき、奥様からもわたしに声がかかった。蔵の蔵書の整理と処分だった。その中には青森を旅した菅江真澄の『外浜奇勝』の原本があった。うちの古本屋に出入りしていた郷土史家の方は欲しいと言われ、200万ならという金額まで提示していた。そのとき、わたしは奥様に、貴重な資料もあるので、県立郷土館にお願いしたらいいですよと、散逸するよりは青森県で保存したほうがいいと、ここでも欲のないわたしは自分の商売抜きで話していた。みんな収まるべきところに納まった。それでよかったのだが、古本屋はいつまでも貧乏なのだ。
 他にも30数年やっていたら、いろんな話が出てくる。それはいまだから書けることもあるが、ご本人が生きておられるときには書けないこともある。こういう話は東京や京都の古本屋の老舗では日常茶飯事で珍しいこともない。田舎の小さな古本屋では大事件であった。まして、わたしのような資金力のない古本屋にとっては賭けみたいなこともあった。震えがくるほどのものだ。商売はまず自己資金。それがないと何もできない。

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