コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

大磯町文学歴史散策

 隣町の大磯に買い物に自転車で行ってみる。端っこなら平塚から4キロぐらいだから、この前のように歩いても行けるが、今回は平塚の西のほうまで走って、文学と歴史散策もしてみようと、午前中から出かけた。
 国道1号線を走って大磯の町に入る。小さなスーパーがあったので、そこで昼飯のパンとドリンクも買って、どこか景色のいいところで食べよう。
 最初に行ったのが海水浴場だ。また海水パンツで来たから、そのまま入れる。梅雨入りをしたけど、ここ数日は曇り時々晴。海水浴場では泳いでいる人はいなかった。少し涼しい。サーファーたちが群がっていた。いい波が来ている。その砂浜にシートを敷いて寝た。気持ちがいい。ブルドーザーが浜辺のゴミをダンプカーに積んでいた。海水浴場の清掃をしていたので、わたしもゴミと掬われまいかと心配する。
 その場所は、一昨年の夏の終わりに、相方と来て泳いだところだった。あれから2年も経っていないのに、わたしは相方と別れて千葉に引っ越し、さらに平塚に引っ越していた。まさか、すぐ近くで暮らして自転車で遊びに来ているなど、そのころのわたしには予想もつかない。
 今度は駅のほうへと走る。途中で変な小路に入り、魚を干しているおばあちゃんに道を聴いたらつっけんどん。確か、この辺りに、蔵をパン屋さんにしてる店があるはずだと聴いた。いま、忙しいからねと、すみません。作業中に聴いたのがいけなかった。国道に出たからそのまま駅に向かう。町の図書館があった。一昨年もそこに入って涼んだ。小さな町でも図書館は充実していて、風格がある。建物だけでなく、中身もそうなのだ。文人たちの別荘がいっぱいあったから、なんとなく町は文化を大事にしてきたのか。そこで新聞を読む。その裏に蔵のあるパン屋さんがあった。そこで前にも珍しいパンを買った。昼飯の追加でまた少しお惣菜のパンを買う。それを図書館前の休憩所に座って、みなさん、昼の弁当を広げていたので、わたしもそこでいただく。
 駅前には迎賓館の古い洋館がある。そこは前に来たときに見た。駅前の地場産品を売る店も覗いた。道の駅のように珍しいものが売られている。駅前にある澤田美喜記念館はやっているのか。閉めたままだ。戦後の孤児を育てたサンダースホームの歴史と業績を展示しているのだろう。その教会の施設はいまもある。
 そこのすぐ裏に地福寺というお寺があるはずだった。島崎藤村の墓がある。前に来たときは、ぐるりと周辺を歩いたが見つけられなかった。今回は意地でも見つけるぞと、ようやく寺に入れた。ずっと裏の奥にある墓まで見たが、藤村の墓がない。普通は、著名人の墓は案内板が立っている。それがないので、探し歩いた。ネットで画像を見たら判った。最初に寺に入ったらすぐ左側にあったのだ。墓石は細長い石を建てているだけの質素なもので、そこに島崎藤村の墓と刻まれている。その隣に同じ形でひと回り小さな墓があり、奥様の静子さんの墓であった。どうして一緒の墓に入らないのだろうか。偉くなるとそれだけの墓にするのか。仲のよかった藤村も寂しくないか。紫陽花が捧げられていた。
 そこからまた国道を走ると、古い茅葺屋根の家が建っていた。なんとなく存在感がある。薄暗い渓谷に鬱蒼とした木々に囲まれて建っているのが鴫立庵だ。それは前に歩いたときは気が付かなかった。あのときは泳ぎに来たので、文学散歩まで頭にはなかった。300年以上昔からある俳諧道場で、敷地内には多くの句碑が建っているが、その名前で知っているのは佐々木信綱だけだった。片足の蛙のブロンズがある。それはここの庵主が俳人で彫刻家の原昔人で、その蛙を正岡子規に贈ったとある。死に向かって闘病生活をしていた子規の日記をたまたま前日に読んでいたので、偶然がまた重なる。建物の中には入れず、庭だけをぐるりと歩いた。湘南という地名が生まれた石碑もあった。湘南発祥の地なのだ。
 さらに先に走る。線路脇に島崎藤村が晩年2年半住んだ家が保存されている。そこに行ってみる。昭和18年に亡くなるまでそこで療養していた。享年71というから、いまのわたしと同じ年に亡くなったのだ。もっとじいさんかと思った。藤村の写真と自分を比べていた。そこも部屋には入れないが、庭だけを回る。
 ずっと西に走ると小山が見えてくる。そこが県立大磯城山公園で、向かいには旧吉田茂邸もある。その先に大磯プリンスホテルがあり、ロングビーチが見えている。一昨年にはそこに一泊して長いプールで泳いだ。スパがよかった。料理もまあまあ。
 城山公園は明治に三井が別邸として使っていた。いまは町民の憩いの場で、郷土資料館もあり、見たが素晴らしかった。この大磯に別荘を構えた偉人のファイルもある。伊藤博文、山縣有朋、大隈重信、西園寺公望、原敬、加藤高明などの名前が連なる。いまはないものもあるが、現存する建物は保存されている。吉田茂の別荘には薔薇園があった。もうバラもそろそろ終わりか。晩年はここで暮らしたという。展望台からは相模湾と三浦半島、伊豆まで見えたが、富士山と大島はあいにくの曇りで見えない。
 自転車で今度は戻る。途中にある明治記念大磯邸園は整備中で、工事がされていた。大隈重信と陸奥宗光の別邸も中には入れないが、ぐるりと庭を眺めた。庭もいまは工事中で、整備半ば、きっと完成するとよくなるのだろう。造園業者が入っていた。ここは元古河別邸で、バラ園もあるが、そのバラは都心の古河庭園から移植されたものとある。陸奥宗光の奥様はわたしも惚れるくらいの美人であった。奥方も歩いた庭園を共有してみたいと歩いてみる。
 自転車で市街地に戻ってくると、坂道を下りて、前にも行った照ケ崎海岸に出る。日本の渚百選に選ばれている。アオバトが海水を飲みにやってくる飛来地というが、ついぞ見たことがない。青い鳩は見てみたい。そこには、海水浴場発祥の地で、順天堂の父を持つ松本良順の碑もあり、医療の一部として昔は海水温浴が勧められた。その医師の由来が書かれ、この地はサーファーの元祖もあり、海水浴の日本で初めてのビーチなのだ。それだから、療養施設があり別荘があり、文化人たちがこぞって湘南に来ている。
 帰りにまたスーパーを見つけて入る。あまり名前を聴かないから地元のスーパーなのだと期待するが、買えるものはあまりなかった。途中のマックで休憩と読書。一時、わたしだけとなる。ロートサイドの店だが、暇だ。平塚まで2キロとある。またしつこく、郷土館で見た仏像が多数出たという高来神社にも寄ってゆく。日は高くなった。7時でもまた明るい。夏至はもうすぐか。


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