コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

女の長電話

 わたしのケータイは電話が鳴ることは珍しい。あまり電話番号を教えていないからだ。身内でも知らないのがいる。それが突然鳴ったから、間違い電話かなと、出てみたら、懐かしい北海道の姉の声。おふくろの句集が届いたという。一年ぶりの電話だろうか。積もる話はあるが、なんと、こっちに一言も言わせず、31分35秒も、一方的に姉が喋り続ける。こっちはただの聴き役なのだが、それにしてもすごい。まるで機関銃の連射だ。よく喋ることがあるものだ。姉もボケたかな。よく言われるのが喋りボケ。ボケにもいろいろあるようで、色ボケや大食いボケ、徘徊ボケに盗みボケと、わたしなら徘徊だろうか。いまはボケの言葉は使えないが、自分も老人みたいなものだからいいか。
 一年の間にいろんな家族にあったことを話した。娘息子が五人いるが、特に赤ちゃんが誕生した二人の娘についていろんなことを報告する。親としては子だけでなく孫の苦も背負うのか。女だから、男よりは世話焼きで、より心痛するのだろう。それでも姉は娘たちにも天然と言われているようだが、元よりの楽天家でノーテンキ、その辺は姉弟の中でわたしが似ている。四人の姉妹の中で、わたしだけが黒一点で、どちらかというと、下の姉と一番仲がよかった。上の姉からは文学の影響を受けた。文学少女であったが、別に創作はせず、ひたすら読書で、大学も金田一教授のいる国文学の私立大学に入り、卒論は太宰治だった。太宰のファンであつて、三鷹の寺で毎年行われる桜桃忌には出席するなど、熱心であったが、社会に出てからは、醒めた目で見て、わたしには、太宰なんか読まないほうがいいと言っていた。それからの手紙でも、太宰より、あなたのほうがちゃんと仕事をして家族を養って立派ですと書かれていた。そのどうしようもない生活破綻の太宰だから、母性本能を刺激するのじゃないのか。
 電話では、積もる話もあるが、主に自分のことばかり。最近は一人暮らしだから、料理も作らず、スーパーから揚げ物などのお惣菜を買ってきて食べているとか。それはよくないと、わたしはようやく、姉の話を遮って割って入る。体によくないじゃないか。ちゃんと作ったら? その電話のときはまさに晩飯を食べているときであった。その夜の献立はサトイモの煮ころがしにポテトサラダ、納豆を海苔に巻いたものなどで、話が長いので冷めてしまう。おれなんか、一人でも毎日作るよ。そのほうが安くつくし、できあいのものは美味しくないからな。とは言ったものの、自分の作るものも美味しくはない。自分で作って自分で食べるものほど味気ないものはない。期待感がまるでない。失敗も多い。
 姉はわたしより7つ年上だから、喜寿だが、年が離れているから一緒に遊んだ記憶もないが、泣かせたことはあった。姉がコレクションしていた記念切手が欲しいと小学生のときにねだったら、親父が出てきて、そんなもの、弟にやれと、姉を叱りつけたので泣いたのだ。わたしも切手を集めていたときだ。
 それと、姉は戦前に満州で生まれて、栄養不足で引き揚げてきたもので、なんでもすぐに食べないで、とっておく人だった。お菓子を四人で分けても、下の三人はその場ですぐに食べてしまうが、上の姉だけは、とっておいて後で食べると、クッキーの空き缶にお菓子を隠して、わたしらの手の届かない、タンスの上に置いておいた。そんなことをしても、猿でも獲れる。踏み台を持ってきて、それに上って、姉の大事にしていた缶からお菓子をみんな食べてしまう。姉は泣いた。日めくりの暦に格言が書かれていた。「いつまでもあると思うな親と菓子」
 姉は見たらたぶん年よりは若く見える。太っているから皺が寄らないのだ。一度、青森にいたとき遊びにきて、わたしは姉の大根足を見て、「腫れているじゃないか、大丈夫か?」と、冗談で言ったら笑う。よく笑う姉だ。若いときの写真を子供たちに見せて、二十歳のときは吉永小百合と言われたものよと、そう言うから、子供たちは、「どこが?」と、そのことをたまに思い出しておじさんのわたしにも言って笑う。
 おふくろの句集は孫もいるからみんなに配ったらちょうどいいと話していた。それにしても親孝行したね、点数を上げたねと言う。句集のあとがきにも書いたが、介護放棄して、上京してきたから、罪滅ぼしだよと言ってやる。
 姉もいまでもそうだったが、いろんなサークルに首をつっこんで、それなりに忙しいのかもしれない。どこでも臆せず顔を出す人だから、友達も多いだろう。四十歳のときに未亡人になり、それから37年もシングルマザーで五人の子を育て、孫も何人いるものか。北海道に引っ込んでいないで、あちこち旅行に行ったらいいのにと、わたしは姉に、もっと出るべきだと言ってやる。一年に一度の電話だが、それでも通じる姉弟だ。
と、ここまで書いていたら、青森のおふくろから電話で、誕生日おめでとうと、ボケていない。そうか、わたしの70歳の誕生日か。和子の電話の長いのを話したら、おふくろも長いから同じだった。わたしは10分以内は無料の契約なので、時間を見ながら、その範囲で切るように相手に話す。通話料もバカにならない。それでケータイの会社は儲けている。わたしの場合は男の長手紙か、読むほうも長編小説みたいになると苦痛だ。昔はよく言ったものだ。挨拶とスカート丈は短いほうがいいと。電話もまたそうだろう。

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