コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

日曜日の図書館

日曜日の図書館へだけは行きたくない。そこはまさに老人たちの戦場だった。
 返す窓口と借りる窓口に人が並ぶ。まるで特売のスーパーだ。普段は静かな図書館も、日曜は家族連れ。どこかに遊びに連れてってと、子供らに言われてお父さん。そうだ、いいところに連れてゆこう、図書館へ。子供はがっかり。また安く済ませようとしているなと。だけど遊園地も入場制限、どこもコロナでつまらない。密の遊具は止めている。それだから、近場で我慢させようと、金を使わなくていい。そういう母子だけでなく、学生から生徒たちが次々にやっくる。加えて年寄りのいつものたまり場。座る席の確保が難しい。密を作らないようにするために、椅子はとびとびで普段の半分も座れない。三人掛けの椅子も一人だけ。それでは50人収容できる席も16人とあまりにも少ない。図書館は老人たちの居場所だった。それが一般の人たちにも占拠されて、本を手にうろうろ。
 わたしもたまたま日曜が勤務明けだったので、行くことにした。翌日は仕事は休みだが、図書館も月曜日は休みなのだ。いまは、五日に一度図書館に行っている。そこで借りる本は一人10冊、電車で読む文庫本だ。それと音楽CDで、聴いたことのないクラシックでも知らない作曲家の曲を選んで借りている。それが一人2枚まで。借りたら、今度は新聞と週刊誌を各紙読む。そのための席を確保する。じいさんが立った。いまだとばかり座る。別のじいさんもそこを狙っていたようで、わたしに先を越されて悔しそう。ところが、そのじいさん、あてつけがましく、わたしの傍に立ったまま新聞を読んでいる。席はいっぱいで座るところがない。普段はじじばばばかりなのだが、日曜は老若男女入り混じっての熾烈な戦いが始まる。席取りゲームというのがあった。まさにそれだった。新聞もすぐに取れる近くに陣取る。新聞を返して別の新聞を取る一瞬の隙を狙ってじいさんに座られる。虎視眈々とみんな狙っている。油断も隙も無い。
 それを読み終わると、新刊コーナーが近くにある。そこから新刊をいつも行くたびに2冊は読んだ。それを取りに5mくらいの本棚まで行くのに、席を取られないよう、座席にメガネを置いておく。まさか、その上に座ってメガネを壊してみろ、弁償させるからな。と、これは仁義なき戦いなのだ。
 新刊は何故か少ない。どうでもいい寄贈本が多い。新刊を買う予算が削られているのではなく、図書館は民間委託で、土建屋の社長などが、おれがやると手を挙げて、本なんか何も知らないのに、市から委託されて経営に乗り出す。人件費でいっぱいだ。図書購入費まで経費は回らない。そういう理由かどうか、青森の図書館はよかったし、都内の図書館も新刊コーナーは充実していたのだが、ここは全然ダメ。それで、諦めて書架を探して、単行本で面白そうな本を選んでその場で読むようにしている。
 図書館は、コロナで再開したときは、一人30分以内と滞在時間まで制約していた。それはスーパー同じで、買い物は一人で、30分以内にしてくださいと、夏前までは貼り紙もしていた。それが、第2波が来る前には落ち着いて、一人1時間と少し延びたが、いまは時間の制約はない。ようやく、好きなだけいてもいいことになる。なんだったら泊まっていってもいいのか。
 わたしにしても図書館は老後の居場所としては最高のいいところ。夏はエアコンの節約で、自宅にいるより電気代が安くなる。トイレも使えば水道代とトイレットペーパーも浮く。冷たい水も飲める。(これはコロナで使用禁止中)と、みみっちい。少ない年金で暮らしている老人たちも生活防衛はしなくてはならない。如何に金を使わず、暇な時間潰しをするか。


 趣味の雑誌も面白い。モノマニアは新商品のご案内。旅行雑誌はこれからの秋の紅葉スポット。文芸雑誌も新人の小説を読ませたり、音楽雑誌からアウトドア、ご当地千葉県の観光名所から旧跡と、調べたいものはいくらでもある。一日いてもいいのだが、座る席がないと、目の前にわざとらしく立っているおじいちゃんが可哀想だから、席を譲ってやる。わたしより年下だったりして。3時間もいられないほど混んでいる。そういうときは、借りた本をリュックに入れて、ショッピングセンターへと移動する。そこのマックで100円コーヒーで読書タイムもいいし、上の階の誰もいないベンチに座ってのんびりとスマホの音楽を聴きながら本読みでもいい。日曜日だけは図書館には行かないほうがいい。

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