コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

『百歳百句』老母の句集

百歳になる老母の書いたノートの俳句とも川柳ともいえぬ、五七五から選んで、百句を大阪の印刷屋に頼んで軽装本にしてもらったのが、百冊くる。見積もりは前々からいただいていたが、そこが安かった。他に広島などの前に頼んだところからも価格表をいただき、比較したら、大阪が一番安い。表紙はカラーで、A5判、百ページ百冊で4万くらいだから、わたしが青森にいたときに、詩の同人誌を頼んでいたときと比べても遜色がない。昔は本を作るのも一代事業みたいなもので、車一台分はかかった。それがオンデマンド印刷が出てきてからは、一冊から作れるようになる。通販で、印刷製本ができる。パソコンが普及すると、原稿も版下ではなく、デジタル入稿となり、DTPで校正が送られてくる。紙の校正に朱を入れていた時代は終わった。便利で速く、安くなってきた。と、同時進行で本が読まれなくなり、全国の出版社は倒産してゆき、印刷会社も出版不況の煽りを受ける。デジタル出版もやり初め、わたしが出版した本もいまから10何年か前に、デジタル出版をやり始めて、契約書が送られてきた。印税は紙の本よりいい。確かにデジタル出版では最初の数ページがお試しで無料で読めたりするので、面白いかどうか、書店で手に取る感覚と同じだ。
 そういう時代だから、誰でもすぐに本は作れる。同人誌は若い人たちが出しているから、そんなに学生さんたちは金があるはずもなく、お小遣い程度をみんなから集めて、それをコミケで売ったりして元をとる。そういうマンガの同人誌を相手にしている印刷製本の会社が全国にいっぱいある。わたしが頼んだのは、同人誌よりは文学系で、出版社もやられているので、名前は聞いたことがある。見積もりのときに、書店に置きますかとか、流通させるかどうかの設問もあった。おふくろの句集はツロウトの書いたもので、作品としては拙い。とても金のとれるものではないので、私家版とした。非売品で価格はつけない。欲しい人には只で差し上げている。
 いまから20年くらい前に、おふくろの半世紀の『シアンリークイ』という自伝を出版した。そのきは、わたしが当時初めて手にしたノートパソコンで版下まで作り、印刷所に持ち込み、友人が製本屋なので、ハードカバーで作ってもらう。500部だけ作った。書店もわたしの友人の店ばかりなので、置かしてくれと頼んで、卸までした。さらに図書館や新聞社にも送った。すると、地元青森の新聞社が取材に家に来た。夫婦の写真入りで大きく報道されたら、本はたちまち売り切れて、県内の取次からも取引したいと申し入れがあり、在庫はすぐになくなる。増刷するほどでもないなと、完売してやめた。その前に、会館で出版記念会もやってあげた。文学仲間と親戚も集めて、100人くらいがお祝いの席に集まり、おふくろは80歳であったが、着物を着て挨拶したが、汗をかいていた。
 幼少のとき、ハンセン病の療養所で看護師とレントゲン技師をしていてわたしの祖父母から生まれて、そこで育ち、らい病の研究をしていた父親の研究室で遊んでいたという。娘時代はデパガになり銀行員になりと、やがて写真見合いで親父と祝言を挙げて、親父が働く満州の営林署のある神樹村という匪賊の出る山中に新婚時代を過ごす。親父は二度目の現地招集で、ソ連との国境警備隊にいて、肉弾攻撃の機を待つ。まさに明日、ソ連の戦車の下で自爆するつもりが、終戦となり、武装解除、シベリアのラーゲリに捕虜として3年抑留された。ソ連が国境を越えて攻めてきたとき、おふくろは顔を墨で黒く塗り、親父の背広を着て、赤子を抱いて逃避行する。新京に一年いた。そこで喰うや喰わずの生活をして引き揚げてきたのだが、シアンリークイでは、昭和23年の夏に親父がシベリアから帰還するところで終わる。


 今回作った句集の最後のページに、小さな彫刻の写真が載っている。それは男女が裸で抱き合って接吻をしているブロンズ像だ。ロダンの「接吻」という有名な作品なのだが、どうしてそれを句集の末に置いたのかというと、それは父と母の新婚時代の甘い思い出と重なるからだ。五味川純平の『人間の條件』という長い戦争の小説も読んだが、それは加藤剛主演で、昭和30年代にテレビドラマとして連続放送されたのだ。映画のほうは主演が仲代達也だったが、テレビドラマは白黒で、わたしは小学生でなんら興味もなかったが、夫婦で食い入るように見ていた。それは両親の新婚時代とよく似ている。親父は鉱山ではないが、営林署で満人たちを使ったが、みんなを官舎によく呼んで、酒と御馳走をふるまったという。酷使した日本人が多い中で、大事にしたから、おふくろが赤子を抱いて逃げるとき、満人の馬頭が金を渡して、奥さん、逃げてと案内したという。その辺もドラマと似ている。おふくろはタイピスト志望でもあったというから、それで二人でよくハルピンのデパートに買い物にも行ったというし、舞台が懐かしいのだ。ドラマのラストシーンに出てくるのがロダンの接吻の像なのだ。それは、ドラマの二人が愛し合っていたとき、ショーウインドーに飾ってあった像を眺めている幸せなときを象徴している。それが戦争という悲劇が壊すのは簡単であった。五味川の戦争観は甘いという人もいるが、作品としてはわたしは好きな本だ。
 おふくろの句集では、扉に結婚式の写真を載せ、それから50枚の幼少から現代の百歳の施設で撮った写真まで、女の一生を五七五で書いた日記のような百句と対比させて百ページの本にした。
 コロナで二年も帰省できなく、おふくろの顔も見ない。手紙は三日に一度書いて送っているし、電話も週一で来るが、面会禁止の老人施設に閉じ込められておふくろも暇だろう。それだから、こうした句集もできた。暇がなければできないことだ。次にはおふくろに頼んでいるのが毎日、詩を一遍書くことという宿題で、来年は百一歳百一詩という本を出そうと計画している。おふくろも暇が急に忙しくなる。これじゃとても死んでいられない。


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