コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

定年旅行は近場の秩父へ 2

翌朝、宿からシャトルバスで秩父駅まで送ってもらうときに、宿の女将が宿泊客とコロナについて話していた。わたしらも聴かされた。これほど徹底して対策を講じているのに先が見えないという愚痴なのだが、本音が聞けた。どこもここも大変なのだ。それでもこの温泉はまだましなようだ。リピーターがいるようで、わたしらももう一度泊まりに来たいと思ったほどだから。
 昨日は西武秩父駅に着いたが、送ってもらったのは、秩父駅で、そっちのほうが賑やかで、駅前に秩父神社がある。そこから天空のポピーを見に行くつもりだったが、皆野の駅から行く人気スポットはコロナで中止になり、どうやら入れないようだ。毎年、そこは大勢の観光客が訪れる。わたしも観光ポスターで見たことがある。残念だ。シャトルバスの運転手さんが、長瀞の宝登山の参道からすぐのお花畑は、いまハナビシソウが咲き乱れているという情報を教えたので、前に二人で行った長瀞だが、そこに行ってみようかとなる。それは皆野の先の駅なので、同じ鉄道でいい。駅で時刻を見たら、ローカルなので一時間も待ち時間がある。それなら、この辺の散策をしようと、秩父神社に行ってみた。人もあまり歩いていない駅周辺の観光施設はみんな閉めていた。秩父夜祭の山車を展示している会館も、物産館も閉鎖中だった。開いているのは神社だけ。そこで見たのが左甚五郎の虎と龍。徳川家康は寅年なので、虎を掘ったのが神社に大きく掲げてある。見猿言わ猿聞か猿の三猿の向こうを張って、見る言う聞く猿があると書かれていたが、それは見つからなかった。日光東照宮とここは張り合っているのか。それにしても、その猿は見たかった。いまは、見ないふりやだんまり、聴かなかったことにするとか、そういう人が多いのに、その逆で、見ることも言うことも聴くことも大事だ。


 駅の裏にある道の駅にも行ってみる。他に行くところがないから。そこは建物も古そうで、何か土産になるものがないかと見たが、食べたいものはなかった。


 秩父鉄道は埼玉北部を走るローカル線だが、熊谷などに行く。夏は日本で一番暑い地域を走る。三両編成の電車で山かいを走る。来るときも、西武線の秩父駅に近くなると、周りの景色は山奥で、都会から1時間走るともう山の中と驚いた。久しぶりの自然に囲まれた田舎に来ていた。
 長瀞で下車する。ここにわたしは一人で来たのは10年くらい前だった。東京に来ると、どこかにふらりと出かけた。せっかく来て、都内だけではつまらないから。古本屋の仕入れやセリで来ていたが、仕事の合間にあちこち行った。相方と来たのは6年前だった。あのときは宝登山の山頂まで行ってぐるりと歩いた。長瀞のライン下りはしなかった。売店で玉こんにゃくを土産に買ったのを憶えている。
 着いたら、前と同じく、D58の蒸気機関車が来て停まる。ビデオとスマホでさっそく撮影だ。参道からそれたところにお花畑はあった。そこも前に来たときは二人で歩いたが、あのときは秋の紅葉を見に来たときで、畑は何もなかった。訪れる人もまばらで、やはりコロナで観光地は厳しい。売店も閉めているところが多かった。土日だけ開けているのか。花菱草はオレンジ色の可愛い花が一面に咲き群れていた。カリフォルニアポピーとも言い、けし科なのだ。わたしの好きな花で、子供のときに青森のよく遊んだ児童公園の花壇に咲いていた。相方に、けしというから、麻薬が取れるのではないのかと、この辺りの特産は実は裏では麻薬だったりと冗談を言う。天空のポピーは見られなかったが、ここでハナビシソウの花畑が見られてよかった。しばし、ベンチに座りコーヒーを飲んで見とれていた。
 昼飯は駅近いところの蕎麦屋にした。客は誰もいない。店の人もいないので、呼んだら出てくる。くるみダレのザル蕎麦にした。濃厚で滋養によさそうな。埼玉でも秩父の名産は宿でも出たが味噌ポテトと豚肉で、わらじカツとか味噌に漬けた豚肉を焼いたもの。それと蕎麦なのだが、どこの店もそればかり。
 長瀞の渓流は川が流れていない。ライン下りの舟も暇そうだが、一艘が出るところだった。それも流れがないから、ゆっくりだ。
 ここ秩父は明治の初めに秩父事件のあったところだ。秩父困民党の本も読んだが、自由民権運動のはしりみたいなとき、この郡部一帯がパリコミューンと時を同じくして、日本で初めてのコミューンができるはずであった。それが明治政府に潰されて、井上伝蔵は北海道に逃げのびる。何年か前に石狩に行ったとき、そこに伝蔵がいたという碑文を見た。同じころに青森の仲間が上映した「草の乱」の映画も見た。なんとなく、そういう歴史の舞台を歩いている。
 帰りはどこかで買い物してゆこうと、電車で寄居で降りた。そこから東武東上線に乗れる。池袋方面と、ようやくpasmoが使え、都心の地名が出てくる。寄居は何もなかった。遠くにスーパーの看板が見えたので、歩いて行ってみる。駅前のショッピングセンターの大きな建物は廃墟になっていた。スーパーでお茶だけ買う。それを駅に戻り、ベンチで飲んだ。飲食店も何もない町だった。小川町で急行に乗り換えて池袋まで戻ってくる。一泊二日の定年旅行は、それなりに面白かった。人生の区切りに思い出を重ねてゆく。それは旅が一番いい。


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