コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ようこそ薔薇の街 平塚へ

退職の日、朝帰りなのだが、交代の仲間が握手を求めてくる。淋しそうな顔に目が潤んでいた。もう、スケベ話もできないのかと。わたしのことを、仲間のじいさんは、日本人離れしていると言う。そうか? 人間離れではないのか。ゴリラに似ているとも昔は言われたし、孫たちからはトトロと言われている。そのうち地球人離れしているとETのように思われたらどうしよう。
 大学の門を出たらもう引き返せない。社員証も返したから二度と入れない。社会という監獄から出たような気分だ。娑婆の空気はうめえなあ。塀の向こう側には二度と勤めない。言ってみたら、社会からの卒業みたいなものだ。それで、相方がお祝いがてら小旅行をしましょうと、計画していた。もう予約してあった。その前に新しい生活を見たいと、平塚に来ることになった。引越しのときに手伝ってもらい、ひと月ぶりだった。部屋は完成したから、どんなふうに湘南の雰囲気になったのかと、興味津々だ。
 表参道駅のホームで待ち合わせる。それから渋谷駅に出て、湘南新宿ラインで渋谷から平塚までは乗り換えなしの一本で1時間もかからない。それに初めて乗った相方は平塚は交通の便がいいと感激していた。鎌倉の先だから遠いと思っていたが、そうでもない。そのJRのラインに乗れば、新宿と池袋も通るから、便利だった。
 平塚駅に着いたら、まずは腹ごしらえだと、駅から歩いてゆけるららぽーとに連れてゆく。ららぽーとは千葉にいたときも南船橋にあったし、別に買うものはないので、あまり入りたいとは思わなかったが、外食ならどんなものがあるのかと入ってみる。湘南だから、磯焼の食べ放題の店もあったが、予算オーバーなので、普通にランチバイキングにした。また食べ放題だ。
 少しショップも覗いてみたいと、安い店を見つけて相方の靴とスラックスなど買ってやる。都心で暮らしていたらショッピングセンターがない。大型店も郊外に行かないとないので、電器店で何か買おうとすれば、秋葉原か渋谷に出る。わたしはららぽーとは二度目だが、前に来たときは見学で、ぐるりと見ただけ。平日でフードコートには何人も入っていないで、レストランはがらがら。コロナの自粛で飲食店が叩かれていた。この日は日曜なので、人は入っている。よかった、と商売をする人の気持ちが分かるので安心した。
 帰り道に激安の八百屋がある。そこを覗いていろいろと食材も買う。ニラが三束で百円とキャベツの大玉が50円、半分東京に持って帰ると、野菜をどっさりと買っていた。まるで戦後買い出し部隊だなと笑う。田舎は野菜も果実も安い。その隣のスーパーでも買い物。刺身はわたしは嫌いだが、相方は好物で、海のある街は安いので感激して買っていた。
 そこから家までの途中にある八幡山公園の洋館に連れてゆく。旧横浜ゴム平塚製造所記念館で、明治のイギリス人技師の宿舎が戦災を免れて、公園に移設した。前はうちのすぐ近くの追分に建っていたとある。その庭園の薔薇が満開なのだ。それを見せたかった。洋館の前の市役所前庭にも薔薇、駅前の緑地にも薔薇、工場の塀に沿って薔薇と、至る所が薔薇で埋め尽くされ、わたしは平塚市は薔薇の街だと思った。それがいまを盛りに咲いている。
 洋館は無料で入れる。中から音楽が聴こえてきた。ハープとピアノ伴奏でコンサートが行われていた。予約制なので入れないが、別室でも聴こえる。われわれはテラスに出て、そこのガーデン用の椅子テーブルに座ると、おばさんたちが販売していたローズティーを頼んで飲んだ。そのテラスの前は薔薇園だ。曲目は薔薇にちなんだものばかり。シューベルトの野ばらやバラ色の人生など。ヘンデルの協奏曲やパッヘルベルのカノンも聴こえていた。しばらく聴き惚れて、満開の薔薇を眺めていた。その至福の時。何かゆったりとしてコロナであることも忘れる。
 夕方、横浜ゴムの工場の前を通って帰る。夜はもつ鍋にしようと、食材も買って、ワインなども買ってきた。部屋に入るとそこは海だった。すごいと相方は喜ぶ。海の中で寝てみたい。それだから拘った。いままではどうでもいい生活だったが、これからは生活も楽しみたい。仕事に行かなくなると部屋も住み心地を考えないと。
 ベランダに、買ってきた朝顔が蔓を伸ばし、バジルやパセリなどの家庭菜園もやっていた。そのうち難しいだろうが、ものの本を読んで、バラもベランダの柵が隠れるくらい育ててみようかな。


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