コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

すったもんだ

最後の勤務を明日に控えていたとき、LINEに職場の先輩からメッセージが入っていた。現場研修中の62歳のJR退職者が、わたしの代わりに新人として入ってきたのが、いきなり電話でキャンセルすると辞めたのだ。それで、わたしにすまないが、次が見つかるまで勤務を続けてほしいと。なんだって、PK戦か。それも致し方がないと、延長戦を了承した。せっかく辞めてのびのびとご隠居生活に入ろうとしたのに。それにしてもJRのじいさんはどうしたのだ。前にも、わたしがこの学校に入る前に、一人そうした人がいて、OJTの最中に辞めると、辞退したのがいたらしい。よくあることなのだ。わたしの前の警備の仕事でも、入っては辞め、入っては辞めと、短い人は次の日に来ないし、一週間で辞めたり、せっかくついて歩いて教えて、ひと月で辞めたりと、そういう人が結構いた。自分に合わないとか、巡回で一日20キロも歩かせたらアゴを出したとか。うつ病だったり、ボーダーに近い精神病であったりと、いろんな人が入ってはすぐに抜けた。だから、驚かない。またかというようなものだ。
 仕事がないという若者だけではないが、コロナで探してもないという半面、こうした学校の宿直が募集しても来ないと嘆いている。何かおかしくないか。仕事がないという人は自分に適した仕事がないのであって、仕事は選ばなければいくらでもあるのだ。贅沢な人ほど選り好み、自分の分が分からない。確かに宿直は地味な仕事で裏方さんだ。泊りで給料は警備の半分。手取りで15万くらいしかない。われわれは年金もあるので、それでも十分なのだが、月のうち10日も休みで、10日は明けで、実質は24時間勤務が月に10回よりないので、それでは暇すぎると、掛け持ちで仕事をしている人もいる。わたしも去年はそうした。イベント警備のバイトもよくした。それも月に6回くらい入れたが、10万にはなった。年金と本業とバイトと三つの収入があれば余るくらいだった。それはコロナでなければ海外旅行に三か月行く軍資金になる予定だった。
 辞めるときにそうしたすったもんだが起こる。引き留められて、気が付いたらまた一年いてしまったなんてことがないよう、今度は10日ぐらいまでと線引きして引き受けよう。
 翌日は、最終日であったはずが、そうではなくなったので、みんなに平塚名物のお菓子を買ってくるつもりがやめにした。「不老」という和菓子は職場の仲間に、「湘南チーズパイ」は事務方の皆さんへと、用意するつもりが、手ぶらで学校に出勤したら、なんと、同じ会社の警備から回された若手の男子がいた。先輩が紹介して、新人ではないし、すぐに使えるから助かると、何度か高等部などでやられてきたベテランのようだ。それなら即戦力で、教えなくてもいい。すぐに一人でできるだろう。よかった。延長戦がなくて。
 それはいいのだが、ご挨拶のお菓子がない。それはそのうちまた遊びに来たとき渡そうか。先輩には頼まれているベルトとズボンをやる。制服は洗濯して、畳んでビニール袋に入れて返そう。ロッカーは空にした。食料の棚と冷蔵庫の中の自分のコーナーも空にした。それらは、ここ何回かで持ち帰ったり、食べたりしてなくしてきた。最後の日はリュックひとつで十分なくらい何もない。


 これで最後の日は変わらない。事務の女性が顔を出して、辞めるんですってと、引き留めても無駄だよ。彼女も逗子から来ているので、海が好きなのだ。同じ湘南グループだ。事務長も顔を出して、これからはご隠居ですというと、まだ若いでしょうと、年をバラしたら驚いていた。みんなに辞めると話していなかったので、事務室ではそれを聴いてみんなが驚いたという。驚かれるほどの芸能人みたいな。本部の人も若いなあと、髪もふさふさと黒いしと見るので、これはビゲンヘアカラーで染めているんですと、若作りをしていることをバラす。本当は真っ白な髪で腰が曲がり、すっかりとじじいなのだとやってみせる。
 最後の仕事なのだが、この日は風速20メートル近い暴風雨で、掃除どころではない。梅雨入りはしたのかしないのか、毎日が雨で、水撒きもいらない。それで、やることがないので、いま、このブログを打つているのだが、青森のおふくろにも手紙を書いて、端から見たらデスクワークが忙しそう、よく仕事をしている人と見られるか。
 事務室にご挨拶に行くと、全員が総立ちで迎えてくれた。一言が少し多すぎたが、これからが青春だと、マリンスポーツをすることを話した。ご隠居さんも昔とは違って若いのだ。拍手で送られた。かなり恥ずかしい。
 本当にこれが人生最後の仕事の終わりの日なのか。本当に卒業なのか。まだ自分では信じられないでいる。

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