コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

国語の教科書が懐かしい

いま、懐かしいと読み返したい本は何? と、聞かれたら、小学校のときの国語の教科書と答えよう。うちの古本屋に、戦前の尋常小学校の国語の教科書の復刻版が箱に入って仕入れたことがある。それはたいして高くもないが、それを欲しがる老人たちがいる。もう亡くなられたが、その復刻版のセットをなんとか探してくれないかと、文学仲間で医者をしていた仲のよかった人に頼まれていた。うちにあった在庫は通販で売れてから、また仕入れることもなかった。なんとか見たいのだという友人の切望から、盛岡で行われている東北の古本屋のセリにそのセットが出たことがあり、わたしも高めの札を入れたのに落札できなかった。死ぬ前に一度だけ見ておきたいという願いもむなしく、その友人は亡くなられた。そんなに国語の教科書が見たいのかと、そのときは商売でしか見なかったのが、自分もだんだんと老いて、年になると懐かしさを感ずるようになる。昭和33年から38年までの国語の教科書だが、使ったものはみんな処分して捨てているから、仕入れで入ってくることはなかなかない。それまでは破れたり、書き込みしてある教科書は手垢でぼろぼろなので、売り物にはならないと、古本屋でも捨てていて、見向きもしなかった。それが、あるとき、どっさりと教科書、それも昭和20年代からの戦後のものが入ってきたので、ぼろぼろでもいいかと、古書目録に出したことがあった。すると、なんと注文が殺到してほとんど売れてしまう。値段も500円以下と安くつけたこともある。そんなに売れるものかと、認識を新たにした。
 戦前の教科書もたまには入ってくる。それも一冊千円以下で売ったり、そんなに貴重なものではない。明治から昭和の音楽や図工、科学の教科書などいろいろと入ってきては売れて、程度にもよるが、そんなには儲からないものだった。値段がとれないということもある。それほど頻繁に入ってはくるが、わたしの年代のものはほぼ見たことがないくらい、教科書は保存している人は少ない。わたしもそうで、卒業したらみんなゴミに出した。
 国語の教科書に出てくる小説の下りが、何からとったのか、それを知りたいと思うのだ。場面ははっきりと覚えている。挿絵もあって、それもいまだに覚えている。それは郵便配達が山奥の雪深い農家に郵便物を届けたとき、おばあさんが、熱い葛湯を出して飲ませる下りだ。誰の文からの抜粋なのか。いまだにそれが判らない。その葛湯が美味しそうで、いまも寒いときは葛湯を作り、一人飲みながら、その国語のページを思うのだ。
 修身というのはわれわれのときはなく、道徳の時間であったが、それも教科書に載っていたもので、エレベーターにみんなが乗ったらいっぱいになった場面。そこに大きな荷物と一緒に乗っていた人に、降りるようにみんなが言うのだ。それが果たしていいことか悪いことかと、考えさせる話があり、生徒に自分だったらどうするかと先生がきっと質問したのだろう。外国の話のようで、挿絵にはそんな顔が描かれていた。
 『最後の授業』というのはドーデの月曜物語の中の1編と知った。それも国語にあった。アルザス・ロレーヌ地方というドイツとの国境に面する町の話で、歴史的背景を知らないと判らない。クオレの日記の一節も載っていたが、最近になって文庫本を読んだが、その下りが出てこなかった。
 有島武郎の『一房の葡萄』もよかった。いい話だった。それも小学生より、大人になって読み返して感じた。子供のときはどんな捉え方をしていたのか。同じ有島武郎の『生れ出づる悩み』も大人になってから再読してみたら、子供のときに感じた場面とは違った感想を得た。小さいときは、スケッチを描くちびた鉛筆のことが印象深かったが、荒っぽい絵描きの卵と絵という対比も感じ取ることはなかった。
 60年の差がひとつの作品をどう読み、どう感ずるのか、そこに興味があった。それだから、いまもあのときの国語の教科書があったら、ぜひ読み返してみたいのだ。

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