コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

蒼蒼

 青葉の季節になる。若葉ではない。もう蒼々としている。引っ越しの手伝いをしてあげると、相方が千葉までやってくる。が、その前日に、もうかなりやってしまう。2時間くらいで終わるのだ。だけど、食料は重複したりしているので、持っていってもらうことにした。クローゼットの中の衣類を、冬ものはもう着ないので、衣装ケースに仕舞う。これから着るものはダンボール箱に入れた。平塚に行ったら、チェストを買って、それにちゃんと仕分けして入れよう。
 冷蔵庫の中は空にした。コセントを抜いて、綺麗に拭いた。冷凍していたものは、職場に運んで、宿直室の冷蔵庫に入れて昼飯と晩飯にする。缶詰や乾麺、半端に使ったものは、この一週間で食べてしまう。スーパーにはその間、買い物に行っていなかった。あるもので作って食べないと。
 ダンボール箱はステレオやラジオなどを買ったときのものを捨てないでとっておいた。それに洗濯干しや小間物、鍋などの食器を詰めたが、足りなくなったので、スーパーからもらってこないといけない。
 そういうときに相方が来たので、駅で待ち合わせて、天気がいいので、公園に連れてゆく。引っ越しの片付けは箱がないとできないが、そんなに時間はかからないだろう。せっかく来たので、また花でも見に行こうかと、緊急事態宣言が出される前に、千葉市内の郊外にある昭和の森に連れてゆく。そこはわたしは去年の春に一人来ていた。広くていい公園だった。
 外房線の土気駅で降りる。そこから歩いてゆけるのだが、まずはチバリーヒルズというかつては千葉のビバリーヒルズと言われた500坪1000坪の豪邸が建っているエリアを見てみようと、その町へと足を向けた。バブルのころに売り出したが、アクセスが悪いのと、あまり売れなかったのか、ゴーストタウンに近くなり、いまではどうなのか、それでも何割かの人々は暮らしているようだが、不人気で、売りたいが誰も買わないで、空いているところも多いとか。周辺にはいい店もある。ショッピングセンターもあった。しゃれた街という感じはする。だけど、千葉市に通うのはいいが、都心には少し遠い。
 スーパーで弁当とまた酒なんか買って、葡萄も安いと買う。それを公園でピクニック気分でいただこう。前に行った公園の入り口ではなく、標識通りに行ったら、それは車の駐車場で、オートキャンプ場だった。公園は広い。前に入ったことのないキャンプ場に迷い込んだ。管理棟で行き方を聴いた。標識が園内にあまりないので、不親切だ。原生林のような道なき道を進んで不安になる。大丈夫か。さっきはショッピングセンターの中にいて、何十分もしないのに、もう森の中だった。
 水生植物のある湿地帯に降りてゆくと、そこは前に来た記憶があった。人の声がして、ハイカーも数組いた。家族連れが、昆虫を捕まえていた。よかった。熊が出たらどうしようかと思った。熊とは書かれていないが、イノシシに注意と書かれていた。イノシシも見たことがないから、一度会ってみたい。ケンケンと鳴き声が藪のほうからして、なんだろうかと見たら、雉がいた。雄で羽根が綺麗だ。初めて野生の雉を見た。黍団子を持ってきたらよかった。
 ベンチがあったので、そこで昼飯とする。弁当を開いて、黒ビールを飲む。小さな缶ひとつでいい。さっきのスーパーで大きなトマト四個で200円は安いと、相方が買って、リュックに入れていたのが二個落ちたと騒いでいた。チャックをしているのに落ちるか? 不思議な話だった。
 広場に出る。草原だ。花はツツジが満開で自転車ロードに沿ってずらりと咲いているが、他の花がない。期待してきたのだが、桜は終わり、蒼蒼とした樹木が森林浴でいいぐらい。原っぱにシートを敷いてごろんと寝た。木陰は少し寒いので、日向にした。すると陽射しもあって日焼けができる。ビタミンDだ。紫外線はコロナを殺す。小さな子供らがしゃぼん玉で遊んでいた。凧揚げをしたりフリスビーをしたり、犬の散歩に来たり、サイクリングを楽しんだりと、ここはマスクさえしているが、コロナも忘れるくらい、本来の野外の楽しみを満喫していた。広いところに寝ると、見上げたら枝葉と雲と青空。気持ちがいい。久しぶりだった。明後日は引っ越しで千葉から神奈川に行くとは思いもしない一日だった。


 帰りは駅までバスにした。相方の足が痛くて歩けなくなっていたのに、よく歩かせた。万歩計は帰ってから見たら22000歩の17キロと出た。いまは病院に行っているが、混んでいて、外反母趾の手術は6月の予定だという。それまでは歩くのがきついだろう。
 たまにはこうして野外でいのちの洗濯もしないと。自然の中でコロナの鬱積を忘れたい。


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