コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

今日が最後といつも思うなら

 引っ越し間近になると、手帳にメモして、忘れたことがないかとチェックする。また神奈川からそのために千葉まで来るのも電車賃がかかる。漏れのないようにしなくては。スポーツジムに最後のトレーニングに行く。もう来ている時間がない。それで、毎度1時間はびっしりとやるのだが、念入りに時間をかけた。帰りに、入口のキーを返却してお世話になりました。半年は来ていた。去年の11月から週に三回か四回真面目に通った。それで筋肉むきむきにはならなかった。いくらかついたろうか。
 図書館には週に二回は行く。音楽CDはそれが最後になるか。クラシックコーナーはほとんど制覇した。来週からは平塚の図書館から借りる。本はぎりぎりまで借りるが、返すのはブックポストでもいい。予約していた本が2冊、まだ届いていなかった。引っ越したらもう来られない。よその千葉県内の図書館からの取り寄せ本だが、時間がかかっていた。
 イオンのマックで読書。そこも随分と使わせてもらった。ポイントでコーヒーを飲む。いつも只コーヒーばかりで悪い。食品スーパーを見たが、買わないことにした。いまは冷蔵庫と買い置きの食品を減らしたい。そのためにあるもので食べる。何も買ってはいけない。
 まるで、これが最後と、もう二度と千葉には来ないような。でもないだろうが、日々、そう思い、今日で終わりと生きていたい。そうすれば、時間が惜しい。見るものみないとおしい。大事に過ごしたいと思うのだ。
 借りてきた本を読もうと、天気がいいから稲毛の浜に自転車で走る。自転車も埃で汚れていたのを綺麗に掃除した。最近は歩いてばかりで、自転車もご無沙汰だ。稲毛海岸では、ウッドテラスの椅子に座り、スマホに入れてある音楽をイヤホンで聴きながら、読書をするのがいつもの休日の過ごし方だった。夕日が沈むまで、そこにいたかったが、その日はあまりにも風が強く、体感温度が低い。本当に夏日で25度なのか。ポロシャツ一枚で来たので、長く座ってもいられない。浜辺では犬を連れた女の子が黒いシルエットになっている。ウインドサーフィンの何人かが、波間を快走している。海鳥の群れが一列に隊列を組んで飛び立つ。
 ここにはしばらくは来ないだろう。今度来るのは何年後のことか。そのときはコロナは終息しているだろうか。どうなっていることか。
 自転車で国道に出る。そこのドライブスルーのマックに寄る。今日一日で二回も寄る。そこのマックもよく利用する。これが最後と思えば、自分の指定席もそのうち誰か本を読むために座っていたりするのか。
 思えば1年と2か月ぐらいだが、千葉に住んで、歩いた歩いた。自転車でも走れるところはずっと遠くまで走った。いいところだ。東京よりはずっといい。来たばかりのときは、千代田区の三番町から引っ越してきたので、すごい田舎に都落ちしてきたものだと、寂しい思いをしたものが、付近を散策したら、自分の好きなスーパー銭湯はいっぱいあるし、ショッピングモールもいっぱいあって、買い物には困らない。むしろ都心で暮らしていたときのほうが、小さなスーパーよりなくて、生鮮食品は安くはなかった。買い物は不便で、地下鉄や電車でわざわざ大型店を探して買い出しに行ったりした。
 随分楽しませてもらった。海があるのがなんといってもよかった。去年は海水浴は禁止で、足だけ入ったが、なんとなくリゾート気分に浸れた。
 自転車で走るのもこれが最後か。なんでも最後というのが明日がないようで、不吉だが、明日が見えないのがコロナの日々で、どうなるものか誰にも解らない。これを書いているときに、東京では三回目の緊急事態宣言が発出された。


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