コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

加齢なる臭い

 相方と久々に逢ったとき、また体臭がすると言われた。それはしばらく、ここ数年でなくなったと喜んでいたのに、また生臭くなってきたという。65歳までは、加齢臭がしていた。それは仲間たちもそうで、同じ年恰好のおやじたちはみんなそれで、家族にも言われて、シューシューをしていた。前にわたしも小さな消臭スプレーも持ち歩き、体臭口臭を消すガムだとか、汗がバラの香りがするというタブレットも飲んだりしていた。古本屋仲間のおやじも、それを愛用していた。彼も娘二人いて、言われたようで気にしていた。おやじたちは割合とデリケートで、そう臭うと言われるのがショックなのだ。
 相方と暮らしていたときは、臭いがしなくなる。口臭もなくなる。何故か不思議だった。それが、また一人暮らしに戻ったら、臭うようになるのは、フェロモンだろうか。この年になって、フェロモンを発散させるとは、若くなったのか。臭わなくなったときは、自分も高齢者になり、いよいよ、枯れてきたか、人間の干物みたいになったかと、嬉しさ半分、木乃伊のようになってきている自分はもう「生」ではないのだと落胆半分だった。生臭いというのは、まだ生でいきているということだ。ふんぷんとさせていたほうが、汗臭いのも生きている証拠だ。それが全然しなくなると、もう人間鰹節か、枯れ木かと、水分のなくなった自分を終わった人間のように思い寂しい感じがしたものだ。
 その原因は判らない。ホルモンの関係なのか。ホルモンも出なくなると臭わなくなるものか。それが、また一人暮らしになったら、65歳以前のように、独身に返って、男の臭いがするようになる。いや、じじいの臭いというべきか。ちょっと汗をかくと、もう全身から臭うのが自分でも分かる。そんなときに、電車で通勤。隣に若い女性が座っていたとき、彼女はさっと座席を替えて、離れた席に座り直した。それは、少しショックであった。そのことを職場のじじいたちに話したら、みんな自分のことのように、「それはショックだよな」と、同情するのだ。いまは職場のロッカーにもデオドラントのスプレーの他に洋服用のスプレーも二本用意してシューとかけるのが習慣になってきた。真夏でもあるまいし、そんなに汗はかかないだろうとは思うのだが、わたしは汗かきで、冬でも汗で、昨日なんか、通勤でポロシャツ一枚で歩いているのはわたしだけだった。みんなコートは着ていた。それほど暑がり汗かきで困っている。特に後頭部から汗がだらだらで、それがあるとおやじ化現象と言われるが、真夏になると、後頭部を冷やす保冷剤入りのマフラーみたいなのを巻きつけていた。あるいは、あまり効かないが、冷蔵庫で冷やして首に巻くというのもしていた。全身滝のように汗が流れる。毎日がシャワーだが、着替えも一日二回と、この汗はどうにもならない。それほど、新陳代謝が激しいのは、生で生きている証拠なのだが、それが久々にまた復活して若返ったのかと喜んでもいられない。
 そういえば、あのバラの香りのタブレットはもう売られていなかった。飲めば半日は全身からバラの匂いが漂っていた。バラの香りのじじいというのも不気味だが、どうして売らなくなったのだろうか。何か問題が発生したとか。
 汗拭きのアルコール除菌などのポケットティッシュもあって、バッグには入れてある。じじいでも人知れず、そういうエチケットとしての苦労をしているのだ。これからが暑くなる。だらだらに備えないと。

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