コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

絶食あるいは断食

 コロナで食生活が変わったという人は多いだろう。精神的なものもあるが、外食を控えた分、家で食べて飲むということが増える。飲食店が8時で閉店すると、勤め人でシングルの人は、食堂で晩飯ということができず、スーパーに寄るが、そこもその時間では、弁当もお惣菜も売り切れで、がらがら。またカップ麺が晩飯かと、がっかりとする。当然、食欲はなくなる。美味しいものが食べたい。偏食でコロナ太りになる。
 家庭がある人でも、なんとなく、食の変化がある。何を見ても食べたくない。だったら、何なら口に入るのか。わたしもスーパーに行って、ぐるりと一周しても、セルフ籠は空で、弁当もおかずもいつも同じものばかりだから、行き先を変えて、別のスーパーに行っても、ハンバーグ弁当、天丼、焼き肉弁当、寿司などどこも似たようなものばかり。わたしは、最近は米も炊かない。ずっと主食なしできていたが、副食が多すぎる。主副転倒だ。ご飯の代わりにスイーツを食べている。炭水化物を摂るのをやめようと、玄米も食べないでいた代わりに、大福餅やシュークリームはないだろう。目的が違う。却って悪い食生活になっていた。食べる気がしないので、食べたいものだけ食べるようにしたら、それがアイスやお菓子なのだ。体重が減らないわけだ。それでも運動はしているので、先日の内科の検診では、血液検査と尿検査はほぼ合格だった。医者は、成人病予防のためと血圧だけは高めなので薬を処方してくれるが、わたしは軽いほうだという。


 へんてこな食生活をやめさせめために、一度リセットする必要があると思った。初期化することで、元の自分に戻る。そのために、いまは仕事をしているから、断食は無理なので、仕事を辞める来月になったら、自宅にいて断食をしてみようと計画した。前に一度だけしたことがある。そのときは若いときで、札幌にいたときだが、女房子供が青森に夏休みで帰っていたとき、わたしだけまた独身生活に戻ったように仕事場の二階の社宅に住んでいた。一人分の食事の支度も面倒くさいので、ひとつ断食をしてみようかと、人間、食べないでどれぐらいもつのかと実験のつもりでやった。水しか口にせず、三日三晩続けた。さすが、眩暈がしてふらふらで起き上がるのがやっとだった。手足がまるで血が通わないように冷たくなってきていた。いかん、このまま死ぬのではないかと、初めての経験で、ご飯を炊いて食べたら、不思議なことに、熱量を補給してすぐに、体に血が廻ったように手足が温かくなる。ふらつきもなくなった。仕事をしながらの絶食はできないと知る。体を動かしているから、カロリーはいるのだ。
 青森の友人が断食道場に兄弟で行った話を聞いた。場所は静岡だったか。二週間コースで、最初から食べないのではなく、粥が出るのがだんだんと薄くなり、それからは断食が始まるというもの。精神修養で、瞑想させたり、適度な散策や体操もさせ、講話もあるらしい。全国あちこちから来ているが、割合と経営者も多いという。それはいいのだが、海外旅行に行くくらい高い。どうして何も食べさせないのに金を取るのだ。金のある人でなければ参加できないなと話を聞いていた。それで、二人して体重は減ったのか。痩せるために行ったのではなく、あくまでも修行のようだ。何か宗教のような気がした。


 いまのわたしにはスイーツに対する食欲を断つために、断食もしくは絶食が必要だ。甘いものは毒だと自分に思い込ませる。すると、砂糖を口にすると、気持ちが悪くなるくらいにしたい。いまは、黒糖やはちみつ、人工甘味料しか使わないが、お菓子の代わりに果実といっても、果糖はある。摂りすぎはよくない。
 仕事をしても一日15000歩歩いても、ジムに通っても、減量できずに、自分の全身を鏡で見れば、なんと腹が出ていて太いので、嫌になる。これはなんとかしなければと、まずは食生活の改善からだ。玄米と押し麦で毎日炊いていただく。炭水化物だけを悪役にしてはいけない。ストレスから食べるというのはコロナなのだが、それもそのうち慣れるだろう。ズボンが普通に入るようにしなくては。太ってからは、サイズの大きなのを探すのが大変だ。ウエストが既製服でおさまる88センチ以下にしないと。問題は腹なのだ。憎々しい腹を叩いて、腹筋はすれど、一向に6パットにならない。腹だけは野放しでだらけている。
 うちの職場の年寄りたちはみんな細い。しなびているという感じだ。わたしが一番太いのか。制服のズボンもなくて、本部では別に注文してくれたほどだ。どうにかしないと、また肥満で数値が上がる。体重計と血圧計を見ながら、食欲とも格闘している。この精神の弱さをどうにかしないと。

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