コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

地震慣れ コロナ慣れ

 また地震だ。震度4くらいではもう驚かない。5以上なら、きっと慌てふためくだろう。このひと月でも千葉は4回はあった。震度2から4くらいまで。
茨城の鉾田に住む叔母は、3,11以来の余震で、もうすっかりと慣れてしまい、上のものが落ちるので、落ちるものは落ちたままに立てかけているという。載せてもまたどうせ落ちるからと、たびたびだから、もう怖いこともない。
 最近は特に多くなった。これが異常でなくして何が異常なのか。あまりにも地震が多すぎる。地震過剰だ。すると、人間おかしなもので、震度5でも建物はなんともなかったら、大丈夫、いけると思う。それがゆるんできていて、いつか倒壊するかもしれないが、そのときはそのときだ。そういう自然災害に対する諦観みたいなのが古来より日本人にはある。台風水害地震とそれに火山の噴火と、これほどの自然災害の多い国も珍しい。
 あるときは、天気予報で、落雷と雪崩と洪水に注意してくださいと言う春先の天候を普通に話すが、外国人が聞いたら、驚くような内容だろう。地震も頻繁にあるから、うちにひと月滞在したフランス人夫妻は、日本に来て、どんな経験をしたい? と聴いたら、即座に「地震」と答えた。それほど、生まれてこの方、地震というものを知らない。ヨーロッパも地震はあるのだろうが、それは限られたところだ。フランスは火山もないのか。地震とはあまりきかない。
 その夫妻が寝ていた夜中の三時に震度3の地震があった。翌朝、どうだったと感想を聴いたら、知らないで二人とも寝ていたようで、大変悔しがった。これから、毎日のように地震が起こる地域では、それを観光の目玉にできるのではないのか。外国の観光客にアピールする。オーロラを見に北欧に行く観光客のように、地震が体験できますと。


 コロナも最近は対応が緩んできている。マスクも人との距離にも消毒手洗いにも慣れて、それが日常化すれば、別に苦でもない。逆に、マスクなしで外に出ると、何か違和感があり、忘れていたと引き返したことは何回もある。マスクなしの顔は不安なのだ。なければいけなくなる。手洗いも消毒もなければ何かおかしい。ない店に入ろうものなら、逆に切れる客も出てくるだろう。習慣化すれば、それがないと騒ぎ、麻薬のようにもはやわれわれはその防疫体制から出ることはできなくなっている。人間すべてが無菌状態、清潔でなければ生きてゆけなくなる。それは逆に怖い。コロナが終わっても、そういう習慣はいいことだが、神経症になったら、細かいことまで気にかかり、部屋には空気清浄機、除菌スプレーをシューシューと撒いて、もう終息したのにマスクはとれない。黙食や黙浴と、人々の会話がなくなり、社内での会話もすべてチャットでスマホから。オフィスの中も人の声がしなくなる。そのうち、話すことを忘れて、言葉を失う人たちが出てくる。
 というSF小説のネタならいくらでもあるだろう。コロナから一年以上が過ぎて、マスク生活の苦痛は少しはあるが、みんな慣れてきたろう。またいいものが次々に発売されてきている。息苦しくないマスクとか、化粧がつかないマスクとか。コロナのおかげで、いつもの風邪はどこに行ったのか、インフルエンザはどうしたのだ。いままでの主役がどこかへ行ってしまった。花粉症も影が薄くなり、みんながマスクだから、その辺で咳をしたりくしゃみをする人もあまりいなくなる。除菌手洗いうがいの生活のせいか、他の病気も少なくなり、それはいい傾向だろう。健康第一と、みんな気をつけるようになり、外で酒も飲めず、交際費は減り、買い物も減って、金を使わなくなり、冠婚葬祭もなくなって、思わぬ出費もないし、こんな自粛生活も悪くはないなと思っている人もいるだろう。葬式も身内だけで小さなお葬式。結婚式もZOOMでオンライン。そんな儀式に大金を使うという異常がなくなれば、悪しき慣習打破でいいのではないのか。困るのは葬祭場とホテルなどだが、出席者は助かるというものだ。義理がなくなれば、これほどやりやすい国はない。
 旅行もなくなれば、本当に金は使わなくなる。それで困るのはわたしだ。早く旅行に行かせろ。海外に出たい。更新して三年目のパスポートは一度も使っていないのだ。きっとみんな使わない分、貯金だけが貯まってゆく。


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