コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ワード派? 一太郎派?

 法案作成の誤記で、官庁ではそのセクションだけか、ワードではなく一太郎
使わせていたことが問題になっている。日本語を主に打ち込むのは、ワードがいいのか、一太郎がいいのかと、わたしも一太郎派であったから、そっちのほうが文章作成には向いていると思う。一番最初にパソコンに触ったときは、息子のデスクトップでWindows95であったが、そのときに、恐々とテキストを読みながら、ワード文章から入ったのだが、なんとも馴染まない。何か違和感があった。特に縦書きにはどうも素直になれないようで、考えてみたら、横書き文明の国から入ってきたので、縦書きをすることは世界の言語でも漢字だけだろう。それで、これは文章縦書きが不得意と知ると、何かないかと探したら、ジャストシステムの一太郎に巡りあった。次に仕事でも使うが、自分のパソコンを買ったときは、Windows98で、ますます使いやすくはなっていた。ワードは敬遠していたので、さっそく一太郎のソフトを買ってきてインストールした。それは痒いところに手が届くというか、日本語には最適な文章作成機能がいろいろとあった。ルビもふれる。ページ設定がなによりも本を作るときの版下にもなり、細かいところまで行き届いている。
 それからはずっとバージョンアップしながら、一太郎ばかり何十年も使ってきた。青森のペンクラブの人たちに聴いても、ワードは駄目だと、特にビジネスではなく、文学を志す人たちには、ワードの文句ばかりで、一太郎派が多かった。
 わたしはこのブログの文章は、テキストで打っているが、ワードパッドなのだ。それなら、一太郎でもワードでもいろんなテキストエディタに使える。すべての文はテキストで保存している。形式など囚われない。そんなものは、後でいくらでも編集が可能だからだ。問題はバージョンアップしたら、元のバージョンで作成した文章が読み込めないとか、そういう不都合が嫌いなのだ。編集ソフトもそうだった。高いソフトを買っても、何年もしないうちに、OSも進化して、それに対応できなくなり、また高いソフトを買うことになる。それとて、何年もすれば使えなくなる。そういうのはもうやめたのだ。
 一太郎ビューワというのが一昨年まで無料でダウンロードできたので、それをスマホとパソコンに入れているが、それを使えば、過去に一太郎で打った文章は読み込みができるのだが、それも配信中止になって、新しい一太郎のソフトを買わないといけなくなる。何万円も出して、また買ってもどうするのだ。またどうせ使えなくなる。まるで詐欺みたいなものだ。
 そのうち、わたしが過去に一太郎で書いたものはすべて読み込みができなくなったらどうしようかと、それはすべてテキストで保存し直した。それなら、世の中がどう変わろうが安心だ。
 エディタソフトも無料のやつをいろいろと入れて使った。テラパッドというのがよかった。後は一長一短だ。いまは割合とポピュラーなワードパッドにしているが、メモ帳でもいい。
 ところが、それも困ったことが起きた。大学でも論文提出には文字数と行数指定があるが、小説を投稿するときもそういう規定がある。わたしの使っているタブレットPCはofficeが入っているが、モバイル版で、簡単な機能よりなく、プリンターから印刷するとき、その文字数と行数指定ができないのだ。詳細設定ができない。使う必要がないだろうと、だからモバイル版なのだ。折角打った小説も無駄にる。そこで、キーボードが壊れて使えない8年前のノートパソコンを青森の倉庫にあったのを持ってきて、それには一太郎が入っていたので、どうにかして使おうと、外付けのキーボードを買ってきて繋いで、一太郎から設定して印刷したら実に綺麗に印刷ができた。ワードではそこまで詳細にできないのは、横文字では必要がないのと、日本語ほど漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字と使い分ける言語は世界的にもないので、ワードでは四苦八苦したのが一太郎はスムーズなのだ。
 ただ、学校で教えたり、ワープロ検定でも使うのはワードだ。いまの仕事でもエクセルとワードしか使わない。それはそれで仕事だから使っているが、個人使用ではワードはできるだけ使わないようにしている。ワード一辺倒の役所と学校の使用は互換性で仕方がないとしても、一太郎の宣伝ではないが、日本語には一太郎なのだ。

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