コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

運動嫌い

 運動嫌いは老後になっても響くものだ。スポーツは嫌いで、オリンピックも野球もサッカーも相撲も見ない。無関心でどうでもいい。小学生のときから、体育の通信簿は2か3と、1のときもあった。クラスで一番ビリケツで、運動会では津軽弁でゲッパ(ビリのこと)。のろのろと肥満の子が走るのは親も見ていられない。跳び箱は図体だけ大きいくせに(クラスで一番背丈があった)、飛び越えることができなくて、太った体で、跳び箱に激突。8段くらい重ねられた跳び箱を積み木のように崩した。本人に怪我はないが、跳び箱は大丈夫か?とみんな跳び箱に集まる。鉄棒の逆上がりも、クラスの全員ができたのに、わたしだけができなかった。それがくやしいと、小6の卒業式の前に、一人練習して、ようやくできた。そのときの喜びは忘れない。姉妹は運動神経はよく、運動会も一等賞で、わたしだけどうしてか、何をやらせてもダメのぐずでのろまだった。
 中学生に上がったとき、バスケット部に入り、練習でしごかれて、ようやく運動会でも二等になったり、校内マラソンでも上位で賞状をもらったりしたが、肥満もスリムになり、筋肉もついてきていた。
 高校生になったら、水泳部で鍛えられた。運動嫌いでも、体を鍛えないと、彼女もできない。肥満でのろまに誰が友達になるだろう。野球は相変わらずヘタで、昼休みにみんなで外でソフトボールをしていたとき、わたしも仲間に誘われた。ビッチャーをやってみろというので、断ったが、みんな面白がって投げさせた。「おれの投げるボールをいままで打ったやつはいないんだ」と、わたしが言ったら、「それは怖いな」と、みんな笑う。案の定、ボールはどこかへ飛んでゆく。まっすぐ投げられないので、あらぬ方角に行くので、バッターは唖然としている。そうかと思えば、バッターで立つ。みんな、体が大きいわたしと、ヘタクソなのを知っているから、外野バック、内野前進と、そう言っていた。当たれば大きいが、外れたらボテボテ。
 そんな運動神経の悪いわたしが、社会に出て、ゴルフをつきあいで覚えたが、つきあいだからやっているものの、あんなものと軽蔑し、全然好きになれないでいた。それでも仕事のつきあいもあるからと仕方なく、コンペに参加した。ボールに当たらず、OBばかり。1ホールで22打もやったのが自己最高記録だ。キャディも見放して先にみんなと行ってしまう。後ろから来ている人たちが、早く行けとばかり睨んでいる。何せ、ボールが見えているのに何度叩いても土を掘るばかり。この野郎、この野郎、バカにしやがってと、一人切れまくっていた。手で投げたほうが早い。そんなわたしを見てみんなは言う。「ほう、22ねえ、よく数えたね」と、ひどく感心していた。
 足手まといになるのでゴルフは若いときだけでやめた。最高220のスコアだが、人の倍以上叩いていた。一人走り回り汗だくで、ボールに振り回されていた。もう二度とゴルフなんかやるものか。


 そんなだから、運動音痴もいいところ。とは言ってもいられないのは、内科の検診でメタボで数値がよくない。運動をしなさい、痩せなさいと、医者に毎度きつく叱られる。運動か。いやいやしている自分がいた。それでも仕事があるときは、毎朝、校庭でラジオ体操を子供たちがしているのを見ながら、わたしもしている。ラジオ体操だけでも毎日しようと、音楽をスマホの画面に保存して家でもできるようにした。
 それだけでなく、100円ショップに行って、ハンドグリップとストレッチ用ゴム紐、ダンベルにヨガボールなどを買ってくる。青森にいたときも一式買って半年は真面目にやっていたが、全然減量できずにやめてしまう。腹に巻いて、ブルブルも買ったが、それも効果なし。足踏みや縄跳びもやっても続かない。それで食ってばかりだから、カロリー消費より摂取のほうが多い。
 自転車も乗らないようにしようと、歩くことにした。サウナスーツも買ったので、これからはスポーツの秋、汗をかいて歩こうと、休みの日は海まで歩く。スーパーも遠くまで買い物で歩く。重い買い物袋を手に帰ってくるのもいい運動だ。帰ると、よく汗もかいたし、自分へのご褒美だと、シュークリームに団子にあんドーナツだ。それがなければいいのだが。

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