コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

同一労働同一賃金の無理

政府も前々から言っている同一労働同一賃金のおかしな話。それは理想だが、都会と地方の差はどうするのか。全国一律均一で考えることはできないのは判っていることだ。地方都市で長く商売をやってきたから、如何に田舎は暇かというのは、外を人が歩いていない。渋谷や新宿と一緒にしないでくれと言いたい。
 前に、東京から、うちの菓子屋を視察に来た経営者が、日曜の満席にならないカフェレストランを見て、日曜でもこうですかと驚いて聞いた。客席数は120席くらいあったが、ショッピングセンターで一番いい場所に店を構えていてもそうなのだ。他の飲食店も同じようなものだ。その方は、客席回転数は日曜でいくらかと聞いてきた。2回転くらいかなと答える。一日営業して満席が2回だから、客数は240人だ。東京では5,6回転はしないとやってゆけないと言われた。経営効率が地方は悪すぎる。人口が29万の青森市と1200万の東京とは比べられない。平日なんか、ぱらぱらで満席になることはない。昼間のランチタイムでもそうなのだ。そこで働くウエイトレスさんも、待機時間のほうが長い。そのころ30数年前は時給は400円といくらで、東京では600円は超えていたと思う。3割以上青森のほうが少ない。最低賃金がそうだった。
 別の日に、大手商社の会長が青森を視察に来たとき、車でご案内したとき、うちの大卒初任給を聴いた。そのときは、10万円少しぐらいであった。平均給与でも13万くらいのもので、賞与はちょぼちょぼ。一年でひと月もあったか。うちは赤字経営であったから、そんなものだった。会長は驚いて、それでは生活はできないだろうと聞く。着るものは同じ値段だろうし、マクドナルドも同じ値段で、光熱費も安いわけではないだろうに。と、不思議がるのだ。それでもみんなそこで低賃金で生活できるのは、家賃が安いとか、魚や野菜が安いとか、地方は地方のよさがあり、農業や漁業が盛んなところでは、ただで親戚からもらったりする。りんごなんか、箱でいつももらう。帆立の稚貝はどっさりとかますの袋でもらうから食べきれない。
 それでも下着や流行の服は都会と同じ値段だろうし、外食もそう安いとは思われない。交通費も同じだろう。ただ、遊ぶところがあまりないから、海に釣りに行ったり、山へ山菜採りに行ったりと、自給自足に近い人もいるだろう。遊びたいが遊園地もない。地方で暮らすのと都会で暮らすのとどっちが得かという堺屋太一の本も昔読んだことがある。同じ給与をもらっていれば、地方に出向させられた社員のほうが裕福な生活はしている。なにより自然が多い。楽しみ方が違う。
 そういう地域間格差はいまでも厳然とある。零細企業と大企業の比較同一化もできない。地方では効率の悪い経営をしているので、そこに均一の網をかけるのはナンセンスだ。最低賃金もどんどんと上げてくる。地方の中小企業経営者の困惑がそこにある。経営努力しても、商売は経営環境による。東北だけでないが、あちこちの市のメーンストリートを車で走ると、多くがシャッター商店街で、開けている店のほうが少ない。青森県では中心商店街が死んでいて、人も車も通らない市は、五所川原、黒石、十和田市、三沢市と、弘前と八戸と青森市はまだ商店街の閉店率が少ないほうだ。秋田に行っても岩手に行ってもそうだった。
 上が頭だけで、そうだそうだと決めるのは、現状認識がなさすぎる。格差社会は地方と都会ではかなりあるのだ。それをなんとかしたいという気持ちがどうして賃金なのか。まるで、経営者たちが自分たちの利益だけを考えて、社員に薄くしていると思われている。そんなことはない。潰さないように必死でみんな働いている。
 それより、東京集中の省庁も地方への分散もあるが、それをこれからも進める。大手企業も本社機能や部門を地方に移転する。土地は安いし、労働力は確保しやすい。都心で何か災害があっても、会社の機能が外にあればクラウドのように安心だ。なにより、今回のテレワークで判ったのが、本社なんかどこにあってもいいということだ。自然の中で、いい空気と美味しい新鮮な食べ物のある田舎にあったほうが、社員はのびのびと仕事ができる。人口が移動すれば、地方都市も潤う。病院もできて、廃校になった学校も復活するだろう。商店街もシャッターを開ける。賃金も上がる。
 変な話が、青森県で一番平均賃金が高い市町村は六ケ所村なのだ。原燃ができてから、前の数字だが、青森市の倍以上で、時給換算では2千円を行っていた。ダントツでトップだった。その村に行くと、児童たちは、バスで通学。立派な学校は青森県内でもあまり見ない電子黒板で、村のコンサートホールには原燃が招聘する世界の一流の演奏者が来ていた。車で行ってみると、かつての貧しい村を知っているから、見違えた施設がどんどんと建つ村に戸惑い、ここはどこだと、信じがたい光景を目にしていた。
 ひとつの大企業が来ただけでこうも違う。そこで働く人たちも都会と同じ賃金をもらい、裕福なというより人並の生活ができるようになる。掛け声だけで同一賃金とバカのように叫んでいるより、そっちのほうが現実的ではないのか。


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