コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

老後レス社会だってか?

 とうとう老後はなくなる。昔は寿命が短かったから、40歳でご隠居。それでも頑張って居座ると、息子たちから無理やり隠居させられた押し込め隠居もあった。いまは、60歳の定年が65歳になり、元気なうちは働けと、実際、先日のニュースで言っていた、65歳以上の男性の6割以上は働いているのだ。女性で4割近い人がその後も働いている。
 よく言われるのが、50年前と比較すると、3割引きで考えないといけないと。いまのわたしのような70歳はそれに7割を掛けたものが、50年前の人の年と同じくらい若くなる。ということは、49歳となる。そのころは55歳が定年で、60過ぎたらバタバタと死んでいた。いつもわたしは祖父や親父の写真を眺めて、現在の自分と顔を見比べてみる。祖父は55歳から隠居していて、自分の好きな畑仕事をしていた。日曜百姓と言われた、いまならガーディニングみたいなもので、郊外に畑を買って、毎日自転車で出勤していた。元気な人だった。親父の70歳は、まだ菓子屋であったが、倒産した年だから、それがなければまだ社長でいたかもしれないが、会社がなくなると、隠居の身になる。寂しそうに居場所がなく、デパートの地下の喫茶でコーヒーを飲んでいたとか、そういう目撃情報が入る。本の好きな親父は図書館にもよく通っていた。古本セールがデパートであると、それっとわたしはまだ古本屋でなかったときは、二人で走って行ったものだ。親子で本好きだった。
 親父は70歳でまだ愛人がいた。まめに弘前まで通っていた。引き出しには強壮剤がいっぱい入っていて、気持ち悪いがわたしも飲んでみたりした。赤マムシドリンクから本物のまむしを酒に漬けた瓶もあり、朝鮮人参も愛飲していた。わたしの場合はそこまではしない。セックスレスの若者が増えたというから、子供が少なくなる。それに比べたら、70歳の老人は若者よりも元気だ。


 わたしの場合はいつまでも働いていても仕方がない。残り時間が勿体ないと思うから70歳になると仕事は辞めようと思った。どうして70歳なのかというと、親父がその年でリタイヤしたら、いきなり自由な日々に出されて、それからはボランティアもしたし、いろんなサークル活動をして、「こんな人生もあったんだ」と、すこぶる喜んでいたからだ。仕事しかなかった親父の楽しみは読書のほかは、ゴルフと麻雀ぐらいのものだった。それを辞めてからは、いろんな募集しているサークルに入った。NHKのアナウンサーをしていて本をいっぱい書いた鈴木健二さんが、青森県立図書館長になったとき、その塾に参加していた。40人くらいであったか、おばさんたちが多かったが、当時のわたしと同じくらいの女性たちが、親父を誘いに家に来た。ほいほいと野外活動にも出かけた。鈴木さんの塾では一番の高齢者で、鈴木さんから大正ロマンの人と呼ばれていた。それから、野鳥を見る会だとか、自然散策の会だとか、中村哲さんのペシャワール会や小さな親切運動など、いろんな会に参加して活動していた。親父が死んだときに、それを断るのが大変だった。年会費もかかるし、会報も送ってくる。
 そういう老後の社会参加がいままでは普通であった。それが、ここに来て、死ぬまで働いてもらいましょうと、なんと、定年がなくなるようなのだ。一生、働けとは奴隷ではないのか。いつ遊べばいいのだ。何か趣味もない人が、社会と会社にしがみついて、いつまでも働かないと、ほかにやることがないというのも寂しい。政府の目論見は、そうして元気で働くことでシニアで人手不足を埋めるとか、少子高齢化で、若者が減ったところに老人で補う。働くと体を動かすから病気にもならなくなる。医療費が助かる。ついで、収入があるから、年金支給を遅らせて、70歳からでもよくなる。それもどんどんと支給年齢が上がる。介護保険も高くしてもいいだろうと、老人たちから吸い上げることを考えている。そのために、足腰丈夫で、立って歩ける人はみんな働くのだと、それは昔の敗戦間近の軍隊のように、鉄砲の引き金が引けたら、十分だと、誰でも召集することになる末期症状に似ている。
 いまの仕事も再来月に辞める。70歳までは年金を掛けていたら上乗せ支給になるが、それを過ぎたら、いくら働いても年金は増えない。それもあって、自分の中では70歳定年と決めていた。仲間は、辞めないで一緒に働こうよと引き留める。そのじいさんは73歳だ。まだ頑張るつもりなのだ。だけど、明日死ぬかもしれないだろう、そうしたら、なんのために働いて死ぬのか、悔いのない人生というのは、楽しまないと。同じことの繰り返しの仕事で余生を潰すのももったいない。健康寿命からしても、わたしの場合は後数十年しか生きられない。世界各国を旅行したいし、女の一人や二人と、まだ懲りないで、そう豪語している。
 われわれは終身刑は嫌だと、社会の塀の外に出て、自由な空気も吸いたい。政府の思うままに奴隷でいるか自由解放されたいか、それは個人の選択なのだ。

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