コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

トランペットに憧れていたころ

 音楽的素質も才能もないくせに、楽器に対する思いだけは強かった。クラシック音楽に目覚めた高校生のときから、中年になって、諦めるまで、いろんな楽器に触れてきた。ピアノ、フルート、トランペット、トロンボーン、ギター、ウクレレ、大正琴、チェロと触ったぐらいで、人に聴かせられるものではなかった。すべて、壊れて捨てたり、売ったりして、手元にあるのはハモニカぐらいだ。ひとつもものにならなかつた。
 高校生のときに、ニニ・ロッソのトランペットにしびれた。昭和43年くらいに大流行したムードミュージックだが、星空のブルースと夜空のトランペットというレコードも買ってきて、何度も聞いた。それだけではおさまらず、なんとか自分で吹いてみたいと思うようになる。できもしないくせになんでも自分のものにしたくなる。たまたま、友人がブラスバンドにいて、トランペットをやっていたが、古いのがあるというので、金はないから、自転車と交換した。通学に使っていたおんぽろ自転車がトランペットになる。通学は歩いて通うことになる。友人は手ほどきしてくれたが、まずはマウスピースで慣れろと、それだけをいつも学生服のポケットに入れて、休み時間なんかは、それだけで吹く練習をした。のめりこむタイプだが、醒めやすい。トランペットもミュートという音があまり出ないようにする蓋をして練習する。でなければ、近所迷惑で苦情が来るだろう。別に恰好つけているわけではないが、練習のために、岸壁に行ってまで吹いた。海なら騒音にならない。だけど、恥ずかしいので、それも材木置き場の中とか、隠れる場所を選んだ。
 半年しても、一曲も吹けない。独学の壁にぶつかる。ギターはNHKのギター教室で、阿保先生について、テキストも買ってきて、基礎からやろうとしたが、どうも癖がつく。東京に出てきたときは、新堀ギター教室というのがあちこちにあって、そこのお茶の水教室に通ったが、学生で月謝はきつかった。チェロは芸大の学生を紹介してもらい、雑司ヶ谷のアパートへ週一で習いに通った。みんな先生たちが一様に言うのは、歌うように弾いてくださいというもの。どうも、わたしは正確に楽譜通りに引くことばかり考えて、ぎこちなく、硬くなるらしい。それで、音楽からほど遠い雑音になる。よく右脳と左脳の役割で、わたしは左利きなので、それが普通の人の逆になっているという。音楽や美術というものを理屈で考えるのか。ともかく、自分は音楽はへたの横好きなだけで、みんなやめてしまった。それからはリスナーでいいと、聴くだけだ。


 どうして突然トランペットを思い出したのか。いま勤めている学校の休み時間に、校内放送でビバルディのトランペット協奏曲が流れたからだ。
学校でも吹奏楽部がある。毎日のようにホールで練習している。音楽の先生のわたしはファンクラブの会長をしている。会員はいまのところ一人もいないが。都内随一の音楽大学で声楽をしてきたというが、子供たちにいろんな楽器を教えている。自分の娘のような人に憧れるとは、わたしもまだ若い。色気がなくなったら老人でも男は終わる。
 礼拝堂には大きなパイプオルガンがあり、大学から学生が練習に来ている。それを巡回で聴きながら、宗教曲もいいなと、Bachも身近で聴くと、またバロックを聴きたいと思う。仕事の周辺は音楽に満ちている。普段は無関係の日々を送っているようだが、音楽はコロナで荒んだ心を慰めてくれる。それで、最近になって、図書館からCDも借りてくるようになる。ほとんどの曲は、わたしのライブラリーに収録れているが、それでも聴いたことのない曲のCDがあれば借りてきて録音している。
 もう楽器はやりたいとは思わないが、たまに思い出したようにキーホルダーにしている10音のミニハモニカで童謡を吹いたりしていて我慢している。



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