コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

どうしようもない二人

息子からの電話だけでなく、相方からも毎日何回か電話がくる。くだらない内容なのだが、みんな被害妄想だ。たとえば、フェイスブックから裸の外人の写真が送られてきたと騒ぐ。それは友達の友達ということで、わたしの知らない外人の名前で、よくそんなのが入ってくるが、無視している。フェイスブックがどんなものかやったことがないので、入り込んでくるのはすべて外敵というウイルスなのだ。悪意があって近づいていると。そういうのも多いかもしれないが、相手にしなければいいことだ。
 相方は新しい会社に採用されて通っているようだ。わたしにもどんな会社でどこにオフィスがあるのか言わない。電話も誰かに聞かれていると警戒している。世の中、盗聴器と隠しカメラと詐欺ばかりと、いまはそんな妄想までいかなが、あまりにも多いから慎重な人は増えたろう。Go To キャンペーンで、強盗も増えた。女の一人住まい、老人の所帯は狙われる。一人で相方は七か月暮らした。もう限界だといって、引っ越ししたいと音を上げた。そんな弱音を吐く電話が最近は増えた。どこに引っ越しても同じなのだ。わたしの姪も、似たような病気で、マンションで夫婦で暮らしていても、同じ建物に怖い人がいると引っ越しを旦那にほのめかす。どこに行っても同じで、ちょっと怒鳴った声がするだけで、怯えて、そこには住めないとなる。
 相方の娘には、引っ越しの日をメッセージで教えていたが、なんの返事もない。唯一の肉親なのが、冷血で、放置しているところがある。電話代も娘の契約だが、支払いは当然なのだが、振り込み用紙を母親に送っていた。それが払えないので、いまは止められて、わたしの二つあるうちの一台のスマホを貸している。貸したら、二つのスマホは同期しているので、わたしがグーグルで調べたことが、向こうのスマホでも出てくる。何を調べているかが判るのだ。それと、失敗したのが、メッセンジャーは娘とのやりとりが残っているので、削除して貸したが、ヤフーメールも削除するべきであった。そこに入ってくるメールもチェックしていた。削除したものがゴミ箱に入っている。それも空にしないといけなかった。本人は頭はいい。変なところで探偵のように知恵も回る。それで、わたしの書いた詩がアップされているサイトを発見する。相方と別れた市谷の土手の話で、「外濠公園で別れよう」というものであったが、ペンネームはシニア=シネーというのを使っていた。彼女はそれを勘違いして、わたしの書いた詩もブログというが、それに死にやと書いた何者かがいると、電話で教えた。関西弁で死ねということが、シニア世代のシニアとは思わないで、悪意のある何者かが、そんな書き込みをしたものと、わたしに教えたのだ。そこで笑ってはいけないので、そうかと、ただ聞いていた。
 またブログを書いていたのねと、また責め立てる。前にもそれで喧嘩になる。実名を伏せて、過ぎたことを書いているのだが、それを読んで、追いかけてくる連中がいると、心配しているのだ。その連中とは、顔も名前もない、実在しない妄想なのだが、それに苦しめられているときに、わたしがブログで行動を教えていると非難する。わかった、もう書かないと、ブログと詩を削除した。それから、新しいサイトを探して、ペンネームも昔使ったものに変えた。青森の文学仲間の一人から、ブログが突然消されたので、どうしたのかと心配したメールが来た。そのメールも見たら即削除した。それで、青森の仲間にブログが引っ越したと教えた。教えたメールもすぐ削除。ゴミ箱の中まで空にした。送信アイテムも削除。痕跡を残さないようにした。青森のみんなには、メールで返信しないでくださいと、頼んだくらい、こっちも慎重になる。もう別居しているからどうでもいいのだが、うるさいからだ。
 最近、様子を見に会ったが、げっそりと痩せていた。食べていないというより、食費もないのだろう。働いていた会社を辞めて十日、新しい仕事は見つかり、そこには行っているが、給与は来月でないと出ない。それより親の遺産相続が入るのが、いま裁判で遅れている。死んだ父親が頼んでいた司法書士が不正を働いて、財産管理をされていたのが使途不明金があり、弁護士を立てて、訴えたのだ。認知の親と精神病の娘だから、自由にやり放題と、大阪の家も売ったが、それも不透明で、明細を出せと言っても出さないらしい。相方は、そういうことはちゃんとしている。いいようにはさせないのだ。本人は、相続したら、そのお金で、都内にちゃんとしたマンションを借りて住むという。わたしにも借りた金のほかにいままでの分を返すという。それまで何か月か、行くところがないので、ともかく、引っ越すといまのマンションの管理会社には言ったので、それまで荷造りはしないといけない。本当は、また緊急避難でもまた一緒に暮らすというのは大変なのだが、仕方がない。一時的に千葉のわたしのマンションに荷物を運ぶことにした。ワゴンで足りるだろう。だいぶ荷物も減った。それでレンタカーも予約し、引っ越し日も決めた。わたしの公休日だ。相方も千葉から仕事に通うという。海と公園のある千葉は少し田舎でのんびりとできるだろう。見たら驚く古いマンションだが、番町から来たら、雲泥の差だ。わたしはなんともないが、少しの間は辛抱してもらおう。
 病院はどうするのか。自転車で行けるところに幕張の千葉県精神科医療センターがある。そこはすばらしい医療の考え方で、本で読んだが、実際、自転車で見学に行ってきた。そこに騙して連れてゆく方法を考えないと。
 よほど金に困っているものとみえ、また貸した。餓死されては困る。前はおかずも運んで食べさせた。冷蔵庫は空に近い。千石に一人で暮らしていた6年前と同じだった。口ではいいことは言っても、一人では何もできない人だった。長男からの電話で、「どうしたいのさ」と、言う質問が聴こえてくる。どうしたいのか、どうにもならない。また同じ生活は考えられない。かといって逃げられない。財産が降りたらきっと何年かは一人でも暮らせるだろう。それまでの成り行きだ。


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