コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

親父は筆まめだった

 手紙魔というのがあれば、親父がそれだった。書くのが好きなので、いつも食卓に座って、せっせと手紙を書いている姿があった。隠居してからは特に暇なので、手紙を書くことが老後の仕事だった。誰に書いているのかと覗いたら、孫たちすべてに書いている。それはハガキのときが多かった。便箋に書いているのは、自分の東京と明石の姉であったり、甥や姪にまで書いていた。身内だけでなく、全国にいる友人たちに書いて出していた。事業をしていたときは、年賀状だけで400枚以上あったから、それを書くことで習慣になってしまったのかもしれない。会社があったときは、社長室にいて、ひたすら手紙を書いていた。親父というと、手紙を書いている姿より思い浮かばない。それが息子のわたしに遺伝した。わたしも書くことが好きで、手紙はパソコンになってからはメールに代わったが、それでもメール魔というほどでもない。メールは仕事で古本屋のときは毎日何十人ものお客に返信したりしていたから、それが定型文ではなく、きちんとご挨拶したり近況を書いたりし、相手に親近感を持たせるよう、営業もしていた。
 Eメールができてからは手書きでも手紙を書くことがあまりなくなる。年賀状も印刷に一言手書きでコメントを添える程度で、時間を省いた。親父のように、住所録にびっしりと友人知人があって、亡くなったときに、誰に連絡したらいいのかと交友関係が判らなかった。愛人もいたが、一人だけは知っていたが、連絡はしなかった。年賀状が亡くなった後もかなり来た。知らない人も遠方にいっぱいいたので、欠礼のハガキをみんなにわたしが出した。すると、香典が送られてきたりした。そのお返しも大変であった。いまはギフトカタログがあるので、ヨーカドーに行って、金額の半分以下でカタログを送るので楽だった。
 親父は日記も毎日書いていた。きっとパソコンができたら、わたしのようなブログを毎日書いたのだろう。その日記というのが白い本だった。罫線も何もない、白い表紙の分厚い手帳しか使わなかった。それにボールペンの小さい字、わたしはミミズが這ったような字だと笑ったが、びっしりと細かい字で白いページを埋めていた。書いている内容はどうということもない、日常生活の何時に起きて朝飯は何を喰ったか、大便が出たとか出ないとか、そうした生活のことばかり。あまり便のことを書いたので、わたしは密かに「大便日記」と呼んでいた。毎日の最後に、連れ合いの名前と同居しているわたしの名前を出して、「みんなよくしてくれてありがとうよ」と、感謝を忘れず、ほぼ一日の書く内容はボケていたからか、一字一句変わらないものだった。
 白い日記帳は、何十冊とあったが、親父が弘前の愛人宅にまめまめしく通っていたときの日記は「愛人日記」だったが、それをおふくろが見つけて、大喧嘩になり、80歳を過ぎた親が居間で孫がいるのに、すごい恰好を見せた。おふくろは物干し竿を手に攻撃すると、親父は灰皿を投げつける。まだ小学生の孫たは、危険を感じてカウチの蔭に隠れて避難していた。それをわたしが間に入って止めるでもなく、北海度の姉に電話をすると、「いま、面白い実況中継を聞かせてやるから」と、受話器をドアを少し開けて、修羅場を聞かせてやった。
 おふくろは、その日記に、親父が愛人から小遣いももらっていた額まで書いていたので、わたしに何冊も渡して、ゴミ捨て場に捨ててきてと、命じて、わたしは後に「愛人日記」として出版しようかと考えていたのに、みんな捨ててきた。いまあれば、退屈しのぎにはなったろうに。
 年老いても生臭い夫婦であったが、枯れることなく、80歳過ぎて愛人がどうのと、これは素晴らしかった。わたしもあやかりたい。
 親父の手紙は相手先にはあるだろうが、どんなことを書いていたものか。きっと日記と同じで、毒にも薬にもならない内容ではなかっただろうか。励ましのことが多かった。正論を言う人であったから、難しいことではなく、当たり前のことばかりで、頑張れということだったろう。
 老後の暇潰しというのがわたしにも来ている。本を読むのは若いときからだから、いまに始まったことではない。温泉に行ったり旅をするというのも青森にいたときからだ。ブログもパソコンを初めて買った1999年からずっと一日も欠かさずに書いている。最近は、ようやく手紙を書くようになる。それもコロナで自粛してくれという夏からだ。去年の7月から、三日に一度、青森の施設にいるおふくろに書くことで、退屈を解消することを覚えた。今年百歳のおふくろに百通の手紙になるまで後どれぐらい書けばいいのか。
 愛人はいまのところいないし、相方と別れてからは、ずっと最近は電話もないしメールもなく、会ってもいない。書く相手はおふくろしか思い当たらないのが寂しい。それでもおふくろも施設で一人部屋にいて退屈しているので、手紙を楽しみにしていると妹も電話で言っていた。それが長生きの楽しみになればと、こつちもボケ防止でせっせと書いている。

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