コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

テレビは末期症状

 以前からテレビ番組は低俗でどうにもならんと、見ないようにはしている。見るのは、天気予報とニュース、たまにドキュメンタリーや特番ぐらいだ。視聴率が下がっているのは、多チャンネルの放送もあるし、インターネットばかり見ているから、そっちに時間を取られて、テレビの前には座っていないのだ。だから、午前中はほとんどの民放は諦めて、通販番組に明け渡している。午後の時間は再放送ばかりで、完全手抜き。映画をたまにやっていても、何度も見たことがあるものばかり。ワイドショーは毎日毎日コロナコロナでそればかり。他にやることがない。ディレクターも楽で仕方がない。もう考える力がなくなっているかのようだ。コメンティターもよく飽きもせず、コロナばかりの話で自分が嫌にならないものか。
 バラエテイ番組では、いまだに食べ放題番組のフードファイターみたいなことをやっているし、食べられるのか激辛だとか、巨大なデカ盛に挑戦するというくだらないことばかり。中国では、そんな番組は廃止された。食えない人もいるわけで、飢餓と飽食が共存している国では、そういう食べ物を愚弄するような番組は許せないのだ。お隣の北朝鮮の人たちがその番組を見たら、日本にミサイルを飛ばせと激怒するだろう。ローマ帝国が滅びる前の飽食の王侯たちの生活と同じで、それでも食べたいために喉に指を突っ込んで、吐き出してからまた食べるというソドムとゴモラの欲にまみれたくだらない都市の話のようで、劫火で焼かれても仕方がないほど、醜悪な文明の末路だ。


 そうかと思えば、海のない田舎に寿司屋を探しに歩くとか、飲食店を探して歩くとか、ゲーム感覚でもくだらない。どうでもいいことに視聴者も喜んでいるのか。なんの意味もない。そうした類似番組ばかりで、テレビ局も模倣で楽をしている。企画力がまるでない。それがいまの視聴者が求めていることであれば、見ている人もくだらない人ばかりなのか。
 このコロナでは、ますますペットが表に出るようになる。NHKでさえ、猫を出してきている。民放のほとんどが、いろんなところで動物の可愛いを番組で見せて、その動画を繰り返し放映し、見ている人たちは、コロナで荒んだ気持ちを癒される。もふもふしたい、可愛いと、みんなして猫や犬を見て、なんとも不気味な時代になってきた。
 旅に出られないから、旅番組も多いが、それは何年か前の再放送なのだ。いまは旅行に出たくても出られないので、そういう不満解消のために、行ったつもりでテレビで見せる。それはいいとは思う。世界遺産や世界の車窓からは、わたしはたまに見ている番組で、それはコロナ以前から見ているのは、これから行ってみたいと予定に入れるためもある。
 いい番組もある。巣ごもりのための有用な番組で、DIYや簡単料理番組など、家にいて出られない人のための運動や手作り番組は参考にはなるだろう。
 健康や病気の番組も随分と増えた。医薬メーカーがスポンサーになっている。国民をそうして日々脅迫して、このコロナの時代にはますます病気への関心が増幅するので、医者だ薬だサプリだと、そっちへと誘導している。ますます医療崩壊する。医者に言わせたら、病は気からの人がかなりの割合で病院に診察に来るとか。


 テレビの功罪ということもある。使命感もなく、ただ、広告料をいただくために、垂れ流しという低俗な内容でぎりぎりすれすれと、欧米では子供らには見せられない倫理観もくそもない番組でも流している。


 最近は、テレビは消して、音楽を聴いているか、ネットで昔の映画ばかり見ている。害のないものは自分で選択しなければならない。


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