コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

ウーバーイーツで頑張る君たち

 いま、街中を自転車やバイクでウーバーイーツの配達の人たちが目立つようになる。それに対して、心無い人たちのうざいという書き込みから、差別的発言がネットにはあるという。先日は、ニュース番組で、実際、街中で配達している人に対してバカにする声をかけた動画が公開されて、見たが、ひどいものだ。
 このコロナで、出前は増えた。彼らがいるから外に出ないで同じ外食を家で楽しめるのだ。そういう一生懸命に働いている人の何が悪いか。出前は昔からあることで、いまに始まったことではないし、どこの食堂もやっていた。それが全国的に分業し独立させ、ひとつの新しい業種にまで大きくさせたのは偉いと思う。誰でも、資格がなくてもできるし、見たところでは外人も随分とやっている。不法就労の人もいるだろうが、アルバイトなので、気楽に勤められる。若い人だけでなく、年配の人もできるが、自転車では慣れない人は危ない。それで、随分と事故が増えているので、やり玉に上げられる。中には、交通ルールを守らないで高速道路を自転車で走ったり、当て逃げしたり、乱暴な運転でひやりとしたとか、それは配達だけでなく、一般の人でもそうなのだが、いまは余計にそういう配達員の事故がニュースでは取り上げられる。それを見ている視聴者は、またかと、まるで、配達員がみんなそんなルール無視の運行をしていると思うようになる。批難が向けられる。
 ウーバーイーツも宅配便も郵便配達もみんな同じ配達業だ。この世になくては困る職業で、やつていることは同じなのに、宅配便や郵便配達には批難や差別の目が向けられない。仕事としてはどれも同じではないのか。
 一昨年前に、わたしが南青山のマンションのポーターみたいなことをしていたとき、毎日ウーバーイーツの配達はかなりあった。随分と出前は多いと初めて思った。そのときは、正面玄関前に自転車でも止めてはいけないのに、中年の外人の配達員がわたしの注意を無視して、「いいんだよ」と、怒って、勝手に止めるとマンションの中に入ってしまった。そのときは、あまりに身勝手で、ダメなものはダメというのに無断駐車で、わたしも腹を立てた。中にはそういう配達員もいる。多くはその建物に決められた駐輪場に止めて配達する。あまりひどいと出入り禁止になる。


 雇用対策で、そうした配達員という古くて新しい職種は簡単にできて、歩合制だろうが、働けば働くほど実入りがよくなるから励みにもなるし、いまのようにコロナで失職したり仕事がない人には助かる仕事だ。なんでも働いて自分で稼いで暮らしていたら、誰も文句を言う筋合いはない。
 職業に貴賤はないと昔からの謂いだ。わたしなんかは、学校の小遣いさんだ。それはいまは差別用語で使えないので、うちの学校ではセカンダリーと横文字で言っている。会社としての事業部で、セクションの名前も横文字で、ファシリティマネジメントサポート事業部というのだ。舌を噛むような長ったらしい名前だ。やっていることは昔から同じで、蛍光灯の交換をしたり、トイレの水漏れを見たり、ドアの不良を直したり、掃除をしたり花壇や芝生への水やりだ。それでも楽で、高齢者にはちょうどいい仕事内容で、マンションの管理人もそうだが、適度に体を動かして、人と接する仕事でもある。
 去年のいまごろは、わたしはいまの用務員が月に10回の出社で暇なので、公休10日を使って、別に警備員のバイトもした。初めて外に赤色灯を手に立った。寒空で、工事現場にも立ったし、駐車場の入口にも立った。朝から晩までと、夜から夜通し朝までというのもあった。それで一日1万7千円くれた。いい収入になった。そのバイト代でヨーロッパ旅行しようと思っていた。いまも、工事現場や車や通行人の整理をしているヘルメット姿の警備員の年寄りを見ていたら、頭が下がる。凍えるほど寒いのだ。一日中外に立つ。休憩もあるが、夏は暑くてたまらない。一度、そういう仕事をすれば、みんな頑張って生きているんだと、差別なんかしなくなる。
 家にいたら、最近もセールスが訪問する。たいていインターネットだとか、新しいマンションの購入だとかの飛び込みだ。どちらもわたしは用はないが、無碍に冷たく追い払えないのは、わたしも若いときは訪問販売を1年やった経験があるからだ。寒いのにご苦労さんと言いたい。見たら若い人で顔が赤くなるほど寒い中歩いているのだ。外でティッシュ配りの人たちも大変だ。わたしは頭をいつもその人たちに下げる習慣がついてしまった。
 みんな何かでどこかで仕事をして喰っている。それだけでも尊いと思うのだ。


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