コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

豪雪の年

 今年も豪雪の年には違いない。平年の何倍もの雪で裏日本は自然災害になっている。青森市も一時は130cmまで行ったが、いまは気温が高い日もあり、積雪量は減っている。どうしても気にはなり、ネットで積雪量というと、青森県の地図から選択すれば、一時間おきの降雪量と積雪量と気温が表示される。まだ1月でこれだから、これから降る2月はどうなるのだろうか。一年で一番積雪の多いのが、平均すれば2月20日ころというから、これからまだひと月以上あるのだ。雪解けは3月に入らないとダメだから、これから雪国は2月下旬に向けてピークを迎える。
 わたしは、青森にいたときは、後何か月で雪との闘いが終わるのかと、指折り数えていたものだ。3月に入れば春の兆しが見えるし、降ってもたかが知れている。降っては解けの繰り返しになる。寒さもピークを過ぎて、水道管が凍ったりもしなくなる。
 弘前の実家の水道管が破裂して水が漏れたとか、仏壇の花入れが割れたと、文学仲間の女史からメールをいただいた。気温はマイナス7度くらいであったか。
 わたしが記憶する最低気温はマイナス13度かで、確か、青森にいた9年くらい前だった。あのときは、あちこちで水道管が凍った。しかも、それが年末であったため、業者も休みに入る。仲間の古本屋さんは、東京のデパートの催事に出店していて、大晦日まで古本市をやっていて、元日の翌日か、青森の店に戻ってきたら、二階の水道が破裂して、誰もいなかったので、店の中は水浸しで、在庫の本の大方がダメになった。うちでもトイレは凍るし、流しの水道が破裂して、床が水浸しになり、そこは古本倉庫であったが、床に積んでいた本がすべてダメになったことがある。
 雪もすごかった。それでも150cmくらいのものだったか、そのときはお客を入れていないで、倉庫にしていたので、店の前は雪山だった。両隣がパーマ屋で、お客は車で来るので、店の前は駐車できるように雪掻きをしなければならないので、フーフー言ってやっていた。どこの商店も雪の捨て場がなくて大変であった。
 屋根からの雪が庇のように垂れてくる。それが暖気になってどっと落ちる。お客が入ろうとした頭に当たれば即死だ。危ないので、長い物干し竿で、二階の窓からど突いて落としたりしていた。その建物は借りていたもので、大家から管理を任せられていた不動産屋に何度も電話して、危険だから、屋根の雪下ろしをしてくださいと頼んだが、一向にやってくれない。それで、自分たちでロープを張り巡らして、その下を歩けないようにした。もし、誰か死んだり怪我したのすると、建物の所有者が賠償責任を問われる。しぶしぶ大家が承諾したのか、ダンプカーと大工たち五人くらいが来て屋根から雪を下ろしていた。その量がすごい。一回では終わらない。海に雪を何回も捨てに行っていた。
 あるときは、屋根から雪の塊がどっと落ちて、ドアが開かなくなり、われわれは閉じ込められた。窓から外にスコップを手に脱出して、雪片付けをしたこともある。


 最近は、雪が少ない。1メートルを越えることもそうなくなった。今年は豪雪の年になるのは確実だ。青森市の積雪で一番多かったのは、確か昭和19年の終戦の前年だった。2メートルを越えた記録はそれからは破られていない。
 次にわたしが小学5年の冬の三八豪雪は記憶にある。まだ自動車もそんなに多くはなく、馬橇が走っていた。だから、主要道路は除雪しても、市道や横道はほったらかしで、市民から苦情も来ていなかったろう。いまは何でも市役所に苦情を申し立てるが、そのころまでは、天から降るものは役所の責任でもないし、自分たちで、雪掻きをして道路を確保すればいいと、文句は言わなかった。町内でみんなが外に出てやっていた。いまは、お役所任せで、雪が多く積もれば市役所に苦情の電話が殺到する。中には、選挙の年なら、市長には入れないとか、そんな脅迫めいた電話もあったという。
 それほど車が多くなった。そのころはうちにも車はあったが、春の雪解けまでは車庫で出せなくて寝せていた。家の前の道路は雪を踏み固めて二階まで積もっていた。女子高が二つ隣にあったので、毎朝、女子高生たちが登校するとき、二階のうちの部屋を覗いて歩く。それが嫌だった。カーテンというものがなかった。それから、玄関から雪を削って、雪の階段を作ると、それを上がって、上の雪道に出た。地下室に降りるような感じだった。そういうときに火事なんかあったら、消防車は入れない。どうしたものだろうか。三八豪雪とは昭和38年の冬で、2メートル近く積もったのだ。青森市は県庁所在地で、人口20万人以上の都市では、積雪量は世界一とも言われていた。雪サミットも世界から学者を招いてやったこともある。


 どうも、今年は記録更新しそうな予感がする。いまから1メートルを越えていたら、2月の冬の底はどうなるものか。小学生のときは、雪の山と谷をいくつも越えて学校まで歩いたことが昔話のように思う。まさに天国と地獄だが、雪のない東京のからりと晴れ渡った空を見ながら、雪国の重く暗い空を別世界のニュースのように見守っている。


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