コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

3疎のすすめ

 3密の禁止で出てきた言葉が反対語の「疎」だった。疎のすすめをすでにマスコミでは取り上げている。わたしも考えた。3疎のすすめ。疎遠・疎開・疎雑と、3つの疎。疎遠にするのは、つきあいだ。いまは会いたくても我慢する。会合も飲食会も断る。相手から、冷たいやつだと言われても、リモートとメールで飲んだり会ったりと、コミュニケーションはそれで仕方がない。わたしのように、それもせず、断絶した世界にひとりいるというのは寂しいかもしれないが、いまは、電話もなければ、メールも来ないし、SNSもやっていないから、家族とも友人たとも疎遠になっている。
 疎開は、都会がいまは危ないので、どこか人里離れた過疎の地に引っ越すことだ。戦時中に空襲が都市を次々に破壊した。それから逃げるために学童疎開もしたが、多くの人たちが標的にならない田舎へと引っ越した。いまは都会が危険だ。人が密集しているから感染爆発が起こる。それでコロナから疎開するのだ。
 わたしは後、半年もしないうちに、田舎に引っ越す予定でいる。千葉も人口からすれば百万都市で、東京のベッドタウン、高層マンションがどんどんと建ってきていて、人口は増え続けてる。満員電車に乗って東京までいまは通勤しているが、そのうちロックダウンになり、県境封鎖となると、通勤もできず、自宅待機になるかもしれない。今後はそこまできっとひどくなってくる。都心のマンションはいまは売れ行きが悪くなり、川口とか厚木とかが人気が出てきているという。都心には住みたくないと、みんな離れてゆく。通勤はしなければいけない人でも1時間以内ならいいのだろう。
 ぽつんと一軒家の番組もあるが、田舎暮らしの雑誌もいまは過疎の村のロハ物件を紹介している。古い民家でも車なら動ける田舎がある。車がなければきついかもしれないのは、路線バスは一日何本もないというところも多い。しかも、夕方からはもう便がないというと、どこかに出かけても、夜には戻れないのだ。
 そういう田舎にわたしも住みたいと、いろんな田舎の不動産賃貸物件ばかり紹介するサイトがあって、一度、そこで調べたら、頼みもしないのに、次々と紹介してくる。それは見るだけだから、楽しみに眺めている。家賃が1万円で庭付の一軒家が紹介された。広い間取りで部屋が五つもある。どんなところかと見たら、網走の郊外であったり、函館の大沼公園の森の果てであったりする。北海道は住みたくはない。寒いのはパスしたい。それで南のほうと探すのだが、あることはある。宮崎だとか熊本の辺鄙な「ど」がつく田舎。廃村で人が住んでいないような、行ってみたら、誰も田舎ったというしゃれにもならない廃れた村もいい。病院はどうするのか。田舎では病気はできない。通うのも大変だというのは、青森にいたからよく解る。歯医者もない村はいくらでもある。虫歯にもなれない。だけど、田舎に行くほど祈祷師がいる。拝んでくれる人がいれば、コロナの悪霊退散とやってくれたら、きっと感染症も来ないかもしれない。超田舎でも最近売り出された電動バイクも安くなり、性能がよくなってきたので、それを買って交通の便の悪いところでも住もうと思う。
 3疎の最後が疎雑ということだ。それはわたしの性格そのもので、あまりにも適当。青森の高田純次と言われて久しい。雑であることは悪くはない。それが神経質に細かく、くよくよと考えて、コロナを恐れて、必要以上に手洗いし、除菌ばかりしている人は疲れるだろう。あまり深刻に考えず、死なばよろともよというぐらいの寛容さがいる。考えてみたら、テレビで医師が告白していたが、コロナに罹って重症化しても、特効薬がないし、いまは治せないのだとか。必要な措置はするが、死ぬ人は助けられないと言っていた。それなら、どうせ、治らないなら、くよくよと考えても仕方がないではないか。運がなかったと諦めるよりない。間引きの貧乏くじを引いたと思うよりない。
 わたしの場合もマスクと手洗いはしているが、満員電車で通勤していても、そんなに恐れてはいない。うつ病になる性格でもないし、自殺するなんて自分では考えられないくらい楽観的だ。たけど、覚悟はしている。実は、青森の文学仲間で出している会誌に出す小説とエッセイも早めに書いて、出してしまった。会報に出すエッセイも青森から手紙が来て、2月の締め切りで3枚以内で書いてと原稿募集が来たが、その手紙が着いたその日に書いてメールで送った。さっさと片づけているのも、明日死ぬかもしれないからだ。なんでも、コロナで死んだ人のことを聴いたら、さっきまでなんともなかったとか、まさか死ぬとは思わなかったと家族が驚いているくらい、あっという間に逝ってしまう場合もあるとか。そういうことなら、遺言のようにもさっさと書いて送るに限る。
 それでも書いている内容は明るい諧謔に満ちたもので、笑ってくれたらと思うバカ話なのだ。
 「疎」は今年の言葉に取り上げたい。過疎とか、空疎という言葉も出てくるし、うとい、まばら、あらい、間がすいているという意味もある。あまりいい言葉ではなかったのが、この時代にはもてはやされる言葉として浮上してきている。


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