コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

田中一村展を見た

 昨年、NHKテレビの日曜美術館で、田中一村を放送していたのを見て、一度作品を見てみたいと思ったと同時に彼が晩年住んだ奄美にも行ってみたいと思っていた。
 その展覧会田中一村展が、千葉市美術館で今年の年初めからやるというので、期待して出かけた。緊急事態宣言が出されたから、前のようにそのうち美術館も閉館になると見られないと、いまのうちに見ておこうと思った。
 千葉県立美術館も去年の春三月に常設展などを見に寄ったが、あのときはその翌日から何か月か、美術館はどこも閉鎖になった。ギリギリセーフで入れた。市の美術館にも前に来ていたので二度目だが、どうもそのときと同じで迷う。千葉駅からも歩いてそんなに遠くはない。だのに、千葉の中心部はいまだに何度も来ているが迷うのは、道路が割合と入り組んで、電車とモノレールも交差して、一度来ただけでは判らない。そんなときは、グーグルマップで現在地からのルート検索だ。曲がり角に目印のビルや店があれば、それに従って歩く。歩きスマホは危ないと言われても、その地図を手にしながら歩かないとたどり着けない。
 ようやく思い出した。昔の役所の建物を美術館にしたのだ。それが近年建てた新しめのビルなのだが、エントランスホールは円柱と二階のテラスと造作が素晴らしい。美術館にはもってこいの建物で、役所にしておいたのが勿体ないくらいだ。一階にはカフェと売店もある。エレベーターで8階まで行く。企画展は上でやり、常設展が5階にある。美術館も久しぶりだった。
 田中一村は日本画だが、日本画というのがわたしは好きではない。若いときは鉄斎の模写をしたとある。それでもすごい才能で十代の作品も展示していたが、その才能を認められていた。わたしが興味を持ったのは、千葉市に家があっただけではなく、幼少のころは麹町区三番町に暮らしていて、九段小学校に在籍していたとあったからだ。まさに、去年まで、いまは千代田区三番町にわたしは暮らしていて、九段小学校もすぐのところにあった。何か親しみを感じた。さらに、わたしがよく言う南の島で暮らしたいという夢を彼は実現し、晩年まで奄美で制作を続けた。そこで亡くなったのがいまのわたしと同じ69歳なのだ。何か生き方に共感するところが多々あった。日本のゴーギャンみたいなものだ。アダンの名作の前に立つと、南国の色合いが迫る。南洋の植物や花、鳥、そして海と空と島影がなんともいい。色の使い方も好きだ。
 芸大を中退してから、どこにも属さず、なんでも描いた。自分の掛け軸を返礼に使ったり、生活に貧窮したら、染色や着物の柄を描いたり、木彫は父親譲りで、なんでもしてきた。
 千葉寺に住まいがあったと、その風景も描いている。千葉寺は一度その付近は歩いたことがあるが、今度、寺にも行ってみよう。その近くにあるスーパー銭湯には三回くらい入りにいったが、いまは住宅地になっていて、戦前の面影はないだろうが、どれぐらい風景として残されているか確かめたい。


 本の装丁もしているのが展示されていた。そういえば、読んだことのある小説もあって、そのときは、装丁者までは調べなかった。
 画風には海がある。千葉の海がそのまま奄美へと通じていた。南国への憧れ、それは色合いだろうか。
 夏に館山に行ったときは、青木繁の描いた「海の幸」がそこで生まれたと知った。千葉の海も悪くはない。そこから芸術が生み出された。
 コロナで旅行もままならないが、一度奄美に行ってみたい。タヒチは遠いが、奄美ならLCCで安く行ける。南国の色を感じてみたいと思うのだ。


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