コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

祖父の味

 急に卵味噌が食べたくなる。鍋にお湯を沸かし、それに味噌をとき、卵を入れて攪拌する。お酒も入れて、砂糖とだしも入れる。味噌汁みたいに薄くてはいけない。卵も何個か入れて、味噌も多いから、固まって焦げるくらいがいい。
 わたしの祖父はよく、一人でそれを作って食べていた。女中さんもいたのだが、台所に一人立って、何かやっているなと、子供のときのわたしが覗いたら、鍋焼きに使う一人用の鍋に、卵味噌を作っていたのだ。焦げないように、箸でかき混ぜながら、美味しそうな味噌の焦げた匂いがしたものだ。
 祖父は料理をする人ではないが、器用になんでもできたのは、和菓子職人であったからで、何をやらせても職人技で、子供ながら見とれていた。羊羹を作るときも見ていたし、カステラも上手に焼けた。だから、台所でおかずを作るのも別に可笑しいと思わなかったが、それでもどうしてか、他にいろいろと食べるものがあっても、咄嗟に思いつくのか、自分で食べたいものをこしえらるのだ。


 その卵味噌が、帆立の大きな貝殻で作れば貝焼き味噌になる。かやきとも言った。津軽の郷土料理だ。帆立も入ったりネギが入ったりするが、うちのはただの味噌と卵と具材がないやつでシンプルだ。わたしが子供のときに祖父から食べさせてもらったのは、鍋の底や縁に焦げついた卵味噌を剥がして食べたら、それがどんな料理よりも美味しく思われた。焦げが好きなので、ご飯の焦げもいつもねだって食べていた。電気釜ではなく、子供のときはへっついに大きな釜でご飯を炊いていたから、お焦げができる。それと同じく、卵味噌の焦げもまたうまくて仕方がない。


 祖父の味は他にもある。もともと、生まれも育ちも青森県の南部七戸町だから、城下町でも田舎だった。南部のものは津軽では食べないものも多かった。そのひとつに苦芋がある。いまでも青森市ではどこにもそれは売っていないが、八戸や南部に行けば、八百屋で売っていたりする。菊芋みたいな形だが、祖父はそれを果実ナイフで皮を剥いて、生のままがりがりと齧っていた。その音がまた美味しそうなのだ。入れ歯が合わないのか、かちかちと音もしたが、硬い芋を齧る音が実に美味しそうに聞こえた。それで、ひとつもらって小学生のときに口に入れたはいいが、吐き出してしまう。苦いというものではなかった。渋柿を食べたときのような渋さもあった。ただ苦いというだけで、どこが美味しいのか。それ以来、口にしたことはないが、きっと子供はコーヒーでも苦いものは味覚がまだ慣らされていないので、ビールにしても不味いとは思うのだろう。ビターチョコもそうだ。
 味覚の調査で、文化人類学者のフィールドワークのレポートを読んだら、未開の部族の人たちに苦い食べ物を味わってもらったら吐き出したという。毒と思うらしい。五味のうち、一番低俗な味が甘さで、苦みは上位というから、その味が判るには、グルマンになるまでの経験も必要なのだ。


 祖父の味には南部の蕎麦餅もある。わたしはじいさん子だったので、いつも孫の中でもわたしを可愛がり、背中におんぶされて散歩にも毎日行ったので、父親よりは祖父に育てられたようなものだった。親父の背中は知らないが、祖父の背中で育てば、祖父もわたしを可愛がり、どこでもわたしだけは連れて行った。七戸町には何回も泊まりで行った記憶がある。そのときに食べさせてもらったのが蕎麦粉をこねて丸めて、棒の先につけて炭火で焼いた蕎麦餅だ。甘い味噌ダレを付けて焼いたので、香ばしい味噌の焼けた匂いが漂っていた。
 それを大人になって思い出して、親戚と一緒にたまたま田子町まで行く用事があったとき、蕎麦餅を探して国道四号線を走った。そうしたら、南部町の国道沿いで、蕎麦餅を焼いている店を発見。何十年ぶりかで食べることができた。子供のときも美味しいと思ったが、いまもそれは好物のひとつだ。いまでは、探しにゆかなくても、南部の道の駅ではよく炭火で焼いて売っている。


 祖父の味の最後は、酒粕だ。七戸町の祖父の本家は造り酒屋の盛喜で、十和田正宗を作っていた。祖父は若いときまでそこを手伝っていたが、酒に関しては下戸で全然飲めない人であった。だけど、酒粕だけは好きで、よく晩年まで、板になった酒粕をガスコンロで焼いて食べていた。子供のときに祖父にくっついていたわたしは、よくそれを食べさせてもらった。それは嫌いではなかった。焦げ目がついて、煎餅みたいにかりかりと食べられた。ほんのりと甘く、清酒の香りもして、子供ながら奇妙な食べ物ではあったが、それは大人になっても食べ続けた。
 大阪に就職したときも、アパートの冷蔵庫にはいつも酒粕が入れてあり、会社の同僚が泊まりに来た時、焼いて食べさせたら、「おまえ、けったいなもん喰っとるやんけ」と言われた。相方と暮らしたときも、それを食べさせたら美味しいと言ってくれて、以来、スーパーで見つけては買ってきていたが、酒粕が甘酒と同じく、健康ブームに乗って専門店まで出現するとは思わなかった。いまでも、わたしは冷蔵庫に酒粕は常に入れてあり、甘酒を作ったり、そのまま焼いて食べたりしている。この前はその専門店に入って飲んだのが美味しく、さっそく帰ってから試してみた。酒粕を牛乳で温めて蜂蜜も入れて溶いて飲んだら、とても美味しく、栄養もあるし、やみつきになっている。酒粕は栄養の宝庫でオールマイティとも言われている。祖父から受け継がれて、その祖父と同じじじいになってきたわたしは、いまだに祖父の味を誰かに伝えている。

×

非ログインユーザーとして返信する