コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

雪もなんだか懐かしい

 雪が嫌いで寒いのが苦手で老後は温かいところで暮らそうと、わたしは東京へと逃げて来た。若いときからそうで、嫁さんとよく話していた、リタイヤしたら八丈島か父島で暮らそうか、南紀もいいところだと、雪のない温暖な土地で余生を過ごしたいと40年も前から思っていた。それがなんとか実現したのだが、確かに、関東に来てからは、積雪はあまりないし、雪を見ることが一冬でほとんどない。去年は全然なかった。太平洋側の気候で、冬晴れ。乾燥はするが、正月も青空だ。裏日本では豪雪と、日々のニュースで見ていて、その中に青森市のいまが映し出される。つい、食い入るように見ている。吹雪いている。車も人も街も真っ白だ。前が見えないホワイトアウト。気温も、東京より15度も低い氷点下が最高気温の真冬日だ。それに比べたら、こちらは日中は10度以上でぽかぽか、いい天気が続いている。まるで、日本は裏が地獄で表が天国だ。みんな外に出て雪掻きをしている。その姿を見ていたら、向こう雪国は戦場で、みんな戦っている。それなのに、わたしは敵前逃亡してきた卑怯なやつ、弱虫ではないのかと、楽をしようと、雪から逃げてきた自分をそう思うようになる。それでぶくぶくと太って、ようやく運動を始めたばかり。
 雪国にいたら、毎日が雪掻きという重労働で、それだけで体が鍛えられる。屋根の雪下ろしと、車の雪下ろし、駐車場の雪片付けと、玄関回りの雪片付け。それも寄せればいいというものではなく、スノーダンプで雪捨て場までせっせと運ぶ。お母さんたちがやっているから、いつからかママさんダンプという名前になったショベルカーのショベルみたいな大きなので雪を載せて遠くの空き地まで何十回も運ぶ。金のある人は冬場で暇な大工たちを頼んで、ダンプカーと大工5人くらいを頼む。屋根の雪下ろしとダンプで海まで雪を捨てに行って半日で10万円かかったりする。老人世帯はどうするのか。よく市の職員さんたちが、ボランティアか、そういう老人の一人世帯の家を回って、雪下ろしをしている光景を見る。それを放置していれば、家は雪の重みで潰れる。
 わたしが住んでいた青森市のマンションでは、隣が古い旅館だった木造二階建ての大きな建物であつたが、男一人が暮らしていた。その建物の屋根には2m近い雪が積もっていて、毎日、大丈夫かと心配して見ていた。朝方、変な音がしたと思ったら、突然、マンションにダンプカーが突っ込んできたような衝撃音で目が覚めた。何事かと、窓を見たら、後数センチで、わたしの部屋の窓ガラスに柱が突き刺さるところであった。建物は完全に潰れていた。地震でもあったかのようにぺっしゃんこになっていた。慌てて、110番した。それで119番ではないのかと思い直したが、気が動転していた。すぐに消防とパトカー、救急車が来た。第一通報者ということでテレビ局も家に取材に来た。寝ぼけた顔でテレビの全国ニュースに出たので、東京の姉や息子たちから電話が来た。ニュースにおまえが突然出てびっくりしたと、そつちのほうが怖かった?


 そんなこともある豪雪都市青森だ。だから、毎年、冬の二月には海外へと逃げた。赤道の国に行って泳いでいた。あるときは、イタリアに行ったが、行ったらローマが積雪30センチと、いままでにない雪で、観光地はどこも休み。地下鉄以外は全部ストップして動けなかった。それであちこち行ったがナポリも雪。これは珍しいのだそうだ。ポンペイのホステルでは、宿の女性に青森という雪深いところが嫌いで逃げてきたら、雪が追いかけてきたと話したら笑っていた。南へ南へと逃げて、ようやく、南の端のレジョで温かい雪のないときを過ごしたということもあった。
 もう何年も雪を知らないで過ごす。相方と4年前に青森に一時帰って、冬を過ごしたときは、少雪で、雪掻きもほとんどしなくてよかった年だった。雪掻きを楽しみにして来た相方は、がっかりとして、こんなものねと、サンダル履きで新町を歩いたりして、息子に青森の冬をなめとんのかと言われていた。なので、7年前に青森を出てきてから、雪らしい雪にお目にかからない。クリスマスもホワイトではないから、ムードが出ない。いくつになつても初雪というのは嬉しいものだが、その気分を知らない。正月にいたっては、間の抜けたように普段と変わらない景色。
 最近になって里心がついたか、雪国もいいなと思うようになった。かといって、帰るところはないから、こっちで暮らしているのだが、雪と格闘して、体を鍛えていたときは、逞しかったように思う。いまは、寒いからと、エアコンをつけ、炬燵に潜り込む猫と同じじゃないか。犬のように庭を駆け巡る自分ではない。
 四季というのははっきりしないと、季節感が出ない。雪もそうで、降らない温暖なところにいたら、詩心も死心になる。何も刺激がないから、生まれるものも生まれない。厳しい自然環境の中でこそ、きっと哲学も生まれたのだ。日本では哲学者の多くが裏日本や雪が降るところで生まれ育った人が多い。頭は冷やさないといけない。ボーッとして生きていてはいけない。そのうち帰ろうか、とは思わないが、雪だけがひどく懐かしく、雪に鎖された生活もまたしてみたいと思うのだ。

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