コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

いい方向に向かっている

 いい話のひとつぐらいないといけない。暗い一年が過ぎても事態は変わらないから、テレビは見たくないという人もいる。楽しいことを考えようと思えば、心配事ばかりが先に立つ。年末に都内の感染者が1300人を越えて一気に増加。全国でも4千人を越えて最高になる。それを株価のように眺めている。
 いまのところ、郷里の青森でも、不幸はなく、みんな元気にやっているようだ。その情報はおふくろからの電話よりない。息子たちと姉妹はメールも来ないし、電話も来ない。便りのないのがいい便りと思っている。
 相方からは、たまに近況を教える電話が来る。それで知ったのだが、東大付属病院にちゃんとあれから通っているようだ。薬も軽いのを処方してもらい、飲んでいるらしい。よかった。去年の10月から病院に娘が連れて行ってから、続いているようだ。脳波など、脳内検査では異常は認められなかったという。てっきり、わたしは脳がアル中患者のように委縮しているのではないかと心配していたが、それはなかったようだ。本人も拒絶するのかと思ったら、意外に治療と検査に積極的に協力している。医者が若い先生で、その辺は患者のおだてかたを心得ているのだろう。わたしも相方を誉めることで、やらせようとすることはしてきた。
 それでも自分は精神的病ではないと思っているのだ。だけど、通院してるのは、よき理解者と主治医を信頼しているからだろう。いまは人の話を聞いて、相談にのってくれる人がカウンセラーとして必要なのだが、それがいまは精神科の医師なのだ。最初に娘が連れていってから二か月半は経っていた。
 それと、年末に、わたしに電話がきたのは、おせち料理を作ったから、渡したいと言っていたが、駅で会う約束をしていたのが、その朝、声がおかしい相方から電話がきて、部屋から出られなくなったというのだ。またか。住んでいる都で用意したマンションの福祉の職員さんが、自分の留守の間に、部屋に入って、監視のための機械を取り付けて行ったというのだ。ここにはもう住めないと、また始まる。薬は効いていないのか。ちゃんと飲んでいるのか。慢性になったので、20年も放置して治らないかもしれないと、前に相談した保健婦さんが言っていたが、わたしも本で調べて、そのことは危惧していた。
 何かあると、わたしに電話がくる。そのときは、声が変わっているから、ぷっつんしているなと判る。それが次に電話が来たら、普通の声に戻っていたから、元に戻ったと判る。
 年末に、娘に誘われて、両親の都内の墓苑にお参りに行くと言っていた。両親の介護の世話をしてきたのに、突然6年前に両親がいなくなったので、ずっと確執があった。四年前と去年、母と父が高齢で亡くなると、娘が墓苑を買って、きちんと埋葬したのでわたしも安心した。生前に出ていった両親が居場所を教えなかったので、親の死に目にも会えなかった。死後も墓前に手を合わせることもしない異様な人だった。それではいけないと、娘がようやく動いて、母親を墓苑に連れて行ったのは、父親が死んで五か月してからのお盆だった。
 常識で考えてはいけない。腹を立ててはいけない。普通でないのはそういうことで、精神がどこか離反している。唯一の弟も、いまは54歳になったのか、18歳のときに、バイク事故で全身が不随になり、それから36年も寝たきりで和歌山の施設に入ったままだ。父母とみんなで見舞いに行った最後が7年前だった。それからは相方も行っていない。可哀想だろうと、わたしは一緒に顔を見せに行こうと何度も相方を説得したが、うちのことに口を挟まないでと、冷たい顔で睨んだ。どうして肉親に対して冷酷なのか。それも病気なのだ。そのくせ、うちの母親に対しては泣くくらい思いやりを示す。どこかに連れてゆきたいとも言う。
 年末に娘が相方を連れて和歌山に行くと言ったのは、少しは病気が改善しているのかと思わせた。和歌山の有田は母親の実家があり、叔父がいる。その叔父が弟の世話をたまにしているようだ。入居保証人にもなっていた。母方の祖父は教育長もしたとか、紀子様の郷里だとか、自民党の二階さんが出たところだとか、いつも同じ自慢話をしていた。親戚がいるから和歌山の施設に置いてもいいと父親が判断し、施設には毎年、多額の金を寄付していたらしい。逢いに行かなくても、金で済ませる、その親の考えに反目していた相方だが、相方も同じことをしている。わたしは、寝たきりでも車椅子で外出できるなら、旅行へ三人で行こうよ、悦ぶだろうと、わたしが提案したら、相方は泣いていたが、実行することはなかった。海老蔵に似ている美男子らしい。その弟が、娘の話では最近は弱ってきていて、自分で飲み込めなくなり、胃瘻をしているとか。施設の話は叔父から娘に伝えられているようだが、弟はあまり長くはないということだ。だから、生きている間に逢わせたかった。それがようやく実現するから、他人のわたしでも嬉しい。
 相方が精神科に行ったのは、ひとつの大きな前進だった。それから通院し、治療を受けることで、妄想がなくなれば、普通の生活ができるのだ。娘を去年の秋に演技で恫喝したことが効いている。娘はそれっきり、わたしにメールも電話もすることなく、本気と思って恐れているようだが、いい薬になった。娘には、実の、この世で唯一の親だろうと、発破をしかけたのがよかった。それからはいい方向に向かっている。わたしのひとつの気がかりがなくなれば、わたしの役目は終わるのだ。


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