コロナノコロ

コロナ生活から思うこと

墓参りはいつしたか

墓参りはこの2年は帰れないから、していないが、古本屋を出てから、海外に行って、東京放浪したときは、もう二度と故郷には帰るまいと決めていた。それだから、青森の墓参りをしたのは、5年前が最後だったろう。お盆と彼岸だからといって墓参りをしていたら、できないこともあるので、青森に帰ったときにするようにはしていた。


毎年、墓参りのことを思い出すのは、7月になると青森市役所から、青森市で管理している三内霊園にうちの先祖代々の墓があるのだが、そこから霊園管理料の郵便振替が送られてくるからだ。わが家の使用しているのは2区画分あるので、年に1区画で1050円振り込む。たいした金額ではない。市営だから安い。それが送られてきたのは転送されてきていた。住所は一昨年までの千代田区になっている。それから千葉市に引っ越したときも青森市役所には住所変更を連絡していなかった。郵便局の転送期間も一年と思ったが、二年もしてくれている。そのうち、返されたら管理料を5年払わなかったら、無縁仏として青森市に没収されてしまう。それではいけないので、このたびは、市役所に電話で新しい平塚の住所を連絡した。ここにはしばらくはいるから、あちこち転々とすれば、銀行からも先日はメールが来ていたので、送った郵便が戻されたのだろう。住所変更がいっぱいあるから面倒くさい。


わたしの居所が分かったときは、身内は安心したろうが、妹が心配して、霊園管理料は払っているのかと、そのことで去年はおふくろからも電話がきていた。毎年、ちゃんと払っているよと連絡した。どこに行っているか分からないフーテンの寅さんみたいなもので、東京に出てきた7年前から8回もわたしは引っ越した。1年とひとつところにいない。それだから身内も、いまはどこにいるのかと、わたしはどうしようもない長男と思っているだろう。


故郷には、妹がいて叔父が一人いる。従弟たちもいて、友人も多い。おふくろは施設にいるが元気だ。家を売ったのが12年前だったか、家族はバラバラになり、わたしもいまでは青森に帰ってもホテルを予約して行かないと寝るところがない。青森で唯一わたしの名義になっている場所というと、三内の墓なのだ。


古本屋を出されて、帰るところがなくなると、冗談ばかりの親戚の呉服屋の旦那が、住むところがあるじゃないか。三内の墓というから、そこならそのままずっと死んでも暮らせるなと、墓の穴の中で生活できるようにしろというので、それもいいかと二坪ぐらいの地下室の素敵な居住空間を想像したりした。


わたしの叔父は霊園の近くに住んでいるので、たまに墓の草むしりなどしてくれている。そこにはわたしの従弟、叔父の次男が入っている。亡くなった親父の兄、わが家の長男であった伯父の満州で亡くなった娘も入っている。その家族は戦後、創価学会になり、墓を別にしたので、墓はわたしの名義になる。叔父は、自分たちは分家だが、墓は一緒にさせてもらいたいというので、これはわたしの考えなのだが、分家であってもまた墓を買ったりする無駄はない。一族郎党倶会一処でいいのではなのかと、うちの宗派の浄土真宗ではどうせ、行くところは一緒なので、そうしたらいいと思う。そのほうが賑やかでいい。


これからは少子化で、後継ぎもいないで、シングルばかりになると、墓なんか誰がみるのかとなる。みんないずれは無縁仏になり、三内霊園でも無縁仏の墓石がピラミッドのように積み上げられているところがある。それは引き取り手のないもう潰えた家の墓石なのだ。驚いたのが、そういう墓石も粗末にされて、墓地の石段にされていたときがあった。よく見たら、古い風化された文字がある石だが、墓石を踏んで歩くというもバチがあたる。


いまは家も空き家ばかりで、青森でも6軒に1軒が空き家というから、今後はますます増えてくる。それと同じで墓も廃屋ならぬ廃墓が増えてくる。後継ぎがいないから、どんな立派な墓や仏壇を買っても先のことを考えたらいらないのだ。だから自然葬でいいと、墓をもたない人たちも増えてくる。どうせ、百年先のことを考えても、自分のことは誰も知らないのだ。


わが家は孫娘ばかりが5人だったが、三男のところで一昨年ようやく男の子が生まれた。女の子ばかりだから、墓守がいない。男の子なら安心でもない。生涯シングルであったら、それで終わり。そんな先のことまで心配しなくてもいいように、親戚一同で墓に入ったら、誰かが守ってくれるだろう。それでいい。


思い出したが、先日、宮古島に行ったとき、道路端にずらりと小さな家が並んでいた。門もあり、入口もあるが、人が住めるものではない。それが墓だと判って、沖縄も台湾も同じだなと思った。台湾に行ったときももそうした家のような立派な墓を見た。みんながそうではなく、金のある家だけだろうが、その風習はよく似ている。


わが家の墓も70年以上経った。そろそろあちこち痛んできたので、息子三人が話し合い、墓を直すから費用分担しようと言う話も出ているようだ。わたしは口をはさまないが、わたしはその墓には入らない。海に撒いてもらう。息子たちだから、従来の墓をそのまま新しくするのだろう。時代は変わる。墓もハイテクになっていい。太陽光発電でデータの入ったUSBメモリーを差し込めば、故人の思い出から顔が出てきて何やら話したりしているディスプレイがありと、読経もネットで配信、坊さんは呼ばなくてもいい墓で、墓参に来られない人にはその模様をリアルタイムで送信する、そういう墓にしないと。そうなれば、いまのコロナで帰れなくても、オンライン墓参りができる。ところで、あの世のメルアドってあるのか。

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