35%も結婚願望がない!

キムヒロ

  若い人たちに結婚願望もないのが35%もいるとか。三人に一人は別に結婚なんかしなくてもいいと考えている。それは日本だけではないようで、中国もだ。結婚どころではないほど、仕事がない。あっても低収入で、とても年収なんか言えない。日本人は背丈は昔よりも高くなり、大学進学率も高くなる。高学歴の背も高く、三つ目の収入だけが低い。女性の相手を選ぶ第一位が口では言わないが、所得だと思う。それが少ないと致命的で、この人と一緒になっても貧乏で苦労ばかりするわねと、値踏みはいくら稼げるかだ。

 若いとき、古本屋で小さな息子三人抱えて、かあちゃんは出ていってどこに行ったかしれないとき、シングルで貧乏生活を舐めていた。それが一年で古本屋の売上が10倍になる。平成に入ったときで、ファミコンゲームのカセットの中古を取り扱うようになったら、子どもらが押し寄せ、店の前の歩道は自転車でいっぱい、店内も子供で溢れていた。ゲームの中古販売は大当たりした。そんなものはやりたくなかったが、背に腹は代えられない。家賃も払えず電気は停められる寸前で、少ない古本屋の上がりで三人の息子たちを育てていたのが、泣きたいほどであった。それが一日で10数万も売上がある。細々と古本だけを売っていた10坪の貸店舗でマンガ本やレコードなどをちまちまと売っていたのが、一挙に年商3千万になる。もうひとつの古書専門の古本屋も女子社員を一人雇って店番させていたが、平成元年から、古書目録を自家製で隔月で発行するようになる。それがまた当たった。通販の名簿が欲しかったが、それは日本古書通信という月刊雑誌に目玉広告を載せて、古書目録発行と出したら、全国の古書マニアから次々にハガキで申し込みがあり、第一号の「りんご古書市場」という目録は、30ページぐらいで千点くらいを掲載したろうか。最初は二百人くらいの人に郵送したが、それが倍倍で増えてゆく。と、古書も次々に仕入れで入るので、それをデータにするに書院のワープロを買って、店で打ち込むと、版下を作成して、店にあったデュプロの軽印刷機で刷って、自分で帳合し、発送まで一人でした。それが千通を超えたとき、息子三人にアイスを奢ると古本屋奥の居間兼台所でマニファクチュア、家内制手工業で、親子四人で帳合、ホッチキス止め、封筒に入れる作業をさせた。ガキも人数で助かった。

 そうして、かあちゃんが家を出ていってから、一年で、貧困のどん底から這い上がれた。それまでは通帳に残高なんかなかったのが、どんどんと貯まる。近くの銀行に行って、定期も組むほどになる。すると、個人商店でわたしと女子社員の二人しかいない店に、銀行の融資が運転資金を融資しましょうかと言ってきたほどだ。自分の預金があるのに、なんで利息のかかる金を借りないといけないのか。

 ある程度貯まると、わたしは浅虫温泉に土地をキャッシュで買った。140坪近くの海が見える少し高くなった土地に家を建てようと、建設会社にも相談し、わたしの注文住宅の設計もしてもらう。二階建ての50坪の家でバルコニーからは陸奥湾と湯ノ島が見える予定だった。そこはわたしの部屋にしよう。

 仕事が忙しくなり、家事も大変だった。掃除洗濯炊事と、小学生の息子二人と幼稚園のいま同居している三男と食べ盛りの息子三人の参観日にもバイクで走り、おやつも手作りで作ってやり、日曜の午前だけドライブとあちこちの山に連れて行ったりした。

 それで文学同人にも入り、創作活動も増えて、本は店に入ってくるので、いくらでも読めたが、夜は飲みの誘いの電話で、息子たちを寝せて、一人ほいほいと巷に飲みに走った。生活は潤う。マイナス生活からプラスに転じて、気持ちにも余裕ができたが、何か足りない。それは誰か傍にいて家庭を切り盛りしてくれる人だった。再婚ということも考えた。ようやく、ここで表題の話になる。かあちゃんの浮気で捨てられた旦那、しかも小さい息子三人のコブ付で古本屋のおやじという全くロマンもない40男に誰が来るというのか。それでも婚活をしている文学同人仲間から聴いて、いまは結婚相談所よりも私立の斡旋所があると聴いた。そのころはまだネットもないときで、マッチングアプリなんかもないときだ。青森市内にあるという斡旋所を友人に聴いて訪ねた。おばさんが一人いて、さっそく「いい人がいるのよ」と、ちらりと顔だけ見せた。わたしの仕事と家族を聴いて、あまりいい顔はしなかったが、年収を聴かれて、一千万は行くかなと言ったら、それならふさわしい人はいくらでもいますよと、乗り気になる。だけど、どうもおばさんの積極的な押しがすっかりと営業で、毎月の婚活パーティとか日帰り旅行とか、そういうベルトコンベアに載せられるのも恥ずかしい思いがして、一度の相談で引いた。

 それからまもなく、交際相手が見つかる。斡旋所からはしつこく電話が来ていたが、いい人ができたのでと断った。それから数人の相手と交際したが、ようやく離婚して七年目で子連れの相手と再婚することになる。話が長くなるからはしょらないといけないが、その相手とも娘と息子と二人の連れ子が社会に出て結婚するまで面倒を見たが、離婚することになる。15年それでも連れ添ったか。その後半は6年間別居であったが、両親と別々の二つの家を行ったり来たりはしていた。

 すべて片付いて、東京に出稼ぎに出たら、また交際相手がその年の暮れに見つかり、知り合いの芸術家の世話で見合いした。意気投合したのは、互いに子育ては終わり、自由なバツ同士だからだ。同棲生活に入り、事実婚として入籍はしないで五年半暮らした。その人は精神的病で、わたしは一人にさせておけないと、ずっと生活の面倒を見てきたが、それもついに挫折して離れることになる。

 なんとなく女運がなく、相手よりも自分に何か非があるのかと身内も思ったろう。ようやく表題に入る。三回も失敗したわたしに言わせたら、結婚なんかしてもしなくてもどっちでもいいんじゃね。子どもで苦労し、いままた孫で苦労し、家族が桎梏になり、老後人生を狂わせ、毎日が辛い生活苦よりは、一人でいたほうが気楽でいいと思うし、それがまた孤独で淋しいと思う人もいるだろうし、わたしの場合は、もし結婚していなかったらどうだろうかと思い返せば、それは単調で面白くなかったろうと思う。失敗したり、破産したり、すべてを二度もなくして、なおも誰かいい人はいないかと、この高齢者になっても思う懲りないわたしだが、何回も数えきれないほど女に逃げられ惨めに捨てられたわたしも、作家や思想家の本を読み、年譜から四回も結婚したとか高齢になっても再婚した話を読めば発奮する。うちの母方の曾祖父は九回も結婚したというから、わたしもその記録は更新できないにしても、挑戦してみようかと身内に話すと、津軽弁で姉なんかははんかくせいやつだと一蹴。(※はんかくせいとは、愚かだということ)

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